2014年08月30日

「Open ブログ」に登場した分析化学者さんのコメントから『ツッコミどころ満載の記事の書き方』を考える

 (注:この記事は、自分用の思索メモという感じの記事に仕上がっています。皆様が読み終えた際は、「一体なんのことですの?」という感想を懐く記事になっています)

 ある日、新たなブログ記事を作成するべくニセ科学批判批判的な話題を探していた私は、「Open ブログ」のコメント欄に「分析化学者」というハンドルの御方を発見した。
http://openblog.meblog.biz/article/23405544.html

 その分析化学者さんが2014年08月29日に投稿したコメントを読み終えた私は、次のように解釈した。
 ・自分が新しい何かを主張する場合、先人たちの研究をよく知ったうえで行うことだ
 ・そうすれば、自分の主張をより洗練したものにしようと日々精査に励むようになる
 ・また、事情を知らない読者たちに対して問題点を分かりやすく提示することを心掛けるようにもなる
 ・先人の研究を深く知ろうとする行為は、自分の主張を確かなものにするためにも重要なことなのだ

 ・ということは、これを逆に考えると、先人たちの研究をよく知らずに新しい主張を行えば、ツッコミどころ満載の主張が仕上がるという理屈になる

 ・つまり、「先人たちの主張を批判しつつ自分の主張の正しさを強調するも、知識ある読者から見れば結果的にツッコミどころ満載になっているブログ記事」を作成したい場合は、先人たちの主張を聞きかじり程度に認識しておくことだ

 ・このときに、「熟知」でもなく「無知」でもなく、「聞きかじり程度」に先人たちの主張を知ることが重要である
 ・「聞きかじり程度の知識で先人たちの主張を批判する」という態度を実行すれば、知識ある読者たちから次のようなツッコミがもらえる

 「あのブログ主は、何を批判しておられるのか? あのブログ主が批判対象とする先人たちは、そのようなことを主張しているわけではないのだが?」
 「というか、あのブログ主は間違いを指摘してきた読者たちに向かって、『それは誤読である。諸君は、私の記事を正確に読み取って理解することを怠っている。筋違いの批判を見せる者は、みっともないという評価に値する』という感じの反論を行っているが、一体誤読しているのはどちらなのであろうか?」
 「そう、あのブログ主こそ、今一度自分の考え方が科学の専門家たちと異なることを認識するべき立場だったのである」

・こうして読者からツッコミをもらった後は、これでもかというほどのキレ芸で返しても良いし、「私のブログは都合の悪いコメントが来た場合に見ざる聞かざるという方針を採用するブログです」と述べながら読者のコメントを削除しても良い

 ・あるいは、「批判が悪口になってはいけません。反論したいという気持ちが前のめりになってはいけません。熱くならず、抑制的な批判を行いましょう」と述べた後、気分の赴くままに好き放題なdisを披露して、「言っていることと、やっていることが違いますやん」という更なる読者のツッコミを誘っても良い

 ・このように、炎上マーケティングで自分のブログをアルファにしたいのならば、少しでも多くの読者からツッコミを入れてもらうことに思考を集中するべきである
 ・「ツッコミを入れてくる読者など必要ない。ひたすら支持を表明してくれる読者のみを私は獲得したいのだ」などという思考に陥ると、泡沫の炎上芸ブロガーで一生を終えることになるだろう

 ・ひとまず、この結論に至ったところで私の解釈を終えるとする
 ・なお、最後はロボット掃除機の「COCOROBO RX-V90」風の言葉を述べて締めくくるとする
 『さしあたり、このような解釈のブログ記事が仕上がったことを分析化学者さんとOpenブログの主さんに感謝する』
ラベル:キレ芸

2014年08月26日

NATROMさんに向かって「自作自演ですね」と言いたくなる理由を考えました

 あのtentenさんが、NATROMさんのブログのコメント欄で自作自演の疑いを提起していました。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20140814#c1408634063

このようにtentenさんが言い出した理由について、私は四つほど考えました。
 一つ目:本当に、心の底からNATROMさんの自作自演を疑っている。第三者にも納得してもらえるような証拠を掴んでいたりもする。

 二つ目:この発言の前に、NATROMさんと遣り取りして自分の主張にツッコミを貰っていたのだが、的確に反論できる言葉をすぐに思いつくことができなかった。
 そこで、「NATROM氏に自作自演の疑いあり!」と言い出すことによって議論の流れを変え、反論のための時間稼ぎを図った

 三つ目:以前のNATROMさんとの遣り取りにおいて、自分の主張を支持する人は思いのほか少なかった。
 そのことが大いに不満であり、「このうえは、自分の主張を認めないNATROM氏に心理的なダメージを与えるとしよう」と考えて自作自演の話を持ち出し、NATROMさんの困惑する姿を眺めて自分の溜飲を下げようと図った

 四つ目:実は「ご自愛ください」と言おうとしたのだが、間違って「自作自演」と言ってしまった。(「ご自愛」と「自作自演」は語呂が似ているため、ごっちゃになりやすい)

 以上のような理由を考えました。

 ちなみに私の主観データによると、議論の相手に心理的なダメージを与える目的で「自作自演ですね」と述べる人の大半は、
過去に自分も自作自演を疑われて心理的にダメージを負ってしまった経験があるものと思われます。
 そのような経験を持つ人がNATROMさんと議論して不満を抱いたとき、次のような考えに至ります。

 「過去の自分は、自作自演を疑われて心理的ダメージを負った。よって今回の議論も、NATROM氏に向かって自作自演だと言えば、私が経験したものと等しい心理的ダメージを与える理屈になるのだ」

 ネット上の議論を幾つか眺めていると、自分の主張が不利になった際に、
「相手は自作自演している。と言うのも、相手には支持者が多く現れたにもかかわらず、この私には支持者が少ないからだ。よって、相手は自作自演していると言える。私に反論できなくなった果ての駄目すぎる行為ではあるが、哀れな姿でもある」
と述べる論者を見かけることがありますが、こういうことだったのです。

 tentenさんの態度が変わらない限り、「これからも、『自分が心理的ダメージと考えている言葉』をNATROMさんに向かって放ち続けるであろう。そしてtentenさんは、どんどんツッコミを貰い続けた挙句に、『よっしゃ、今回はこのくらいにしといてあげる!』と言って去るであろう」と予言しておきます。
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2014年08月23日

「もしも相対主義的なニセ科学批判批判者が、『オール・ハイル・ブリタニア』風の台詞を述べたら」と考えました

 ネット上の論者は! ……平等なリテラシーではない。

 生まれつき科学的な思考を持つ者、美しい理想論を語る者、懐疑思考が貧くて詐欺師に騙される者、前フリが濃密な割りに本論がすっかすかの者。

 他人の言論に対しては厳密な言葉使いを要求しつつ、自分の言論に対しては緩い規律を適用してドヤ顔を決める者。

 匿名のニセ科学批判者が運営しているブログに向かって、「実名を名乗っていない人の主張など信用できるものですか!」とコメントする匿名の者。

 匿名のニセ科学批判者から主張の誤りを指摘されると、「私は実名で言論活動を行っている。よって、匿名である貴公に私の主張の誤りを指摘する資格はない」と述べる者。

 実名のニセ科学批判者から主張の誤りを名指しで批判されると、「名指しで批判する行為は失礼である。よって、貴公の批判は無効である」と述べる者。

 ニセ科学批判者が名指しを避けた批判を行っていると、「誰の論を批判しておられるのか? 貴公もニセ科学批判者の端くれならば、具体的に名指しで批判を展開してみせよ」と述べる者。

 普段の自分は罵詈雑言を交えながら他人を批難するという芸風にもかかわらず、他の誰かが罵詈雑言を交えた批難を展開すると、憂慮を表明して「誠実な議論のあり方」を懇々と説教する者。

 科学に詳しい人々が集うブログに乗り込み自信満々でツッコミを入れるも、逆に総ツッコミを貰って不満が募り、わら人形論法や論点ずらしや人格攻撃を駆使した挙句に後釣り宣言を述べて消え去り、皆を唖然とさせる者。

 「速報性を重視する」と称して科学的に不正確な記事を自分のブログで披露した後、読者から間違いを指摘されると、これでもかというほどのキレ芸で返す者。

 「自分の粗い論は速報性を重視しているゆえに仕方がないことなのだ」と述べた後、他人の論に粗い部分を見つけると全力でdisりに掛かる者。

 読者からブログ記事の粗さを指摘されると、「そんなことは自分でも承知している、私は予稿を掲載したのだ、」
 「あとで決定版を掲載するつもりだったのだ、」
 「それにもかかわらず、今の段階で批判を寄越すとは何事だ、」
 「諸君は、黙って私の記事をありがたく受け取っておれば良いのだ」
 という反論を述べて、読者から、
 「なんちゅう開き直り方を見せますねん……。というか、そないな事情があるんやったら、あらかじめ記事の冒頭に、『これは予稿です。決定版は、のちほど掲載します』と明記しておけばよろしいですやん!」
 と更なるツッコミを貰う者。

 「ニセ科学批判者の主張には重大な誤りがあります」と述べて、ニセ科学批判者から、「どのような誤りがあるのか?」と質問されると、
 「その質問は科学的ではありません。よって、私の主張は正しいことが証明されました」
 と勝利宣言し、それを見たニセ科学批判者が、
 「あかん。ややこしいタイプの人やった。このまま対話を続けたら、ウチの貴重な時間が浪費されてしまうやんか」
と判断して去ると、
「ニセ科学批判者は沈黙しました。よって、私の主張の正しさが証明されました」
 と重ねて勝利宣言するという芸風を、断念することなく長きにわたって披露している者。

 ニセ科学批判者のブログに乗り込み、「今から私は論理的な異議を唱えてあなたをギャフンと言わせてみせます」
 と前フリを述べた後、
 「ニセ科学批判者さんの主張は間違っています。なぜならば、私の主張と内容が異なっているからです。よって、ニセ科学批判者さんの主張は間違いです」
 という結論を披露して、「意図的にボケているのだろう」と考えたニセ科学批判者が被せのボケで応じると、真剣に怒り出して、
 「これだからニセ科学批判者とは論理的な議論ができないんだ!」
 と言って去る者。

 ニセ科学批判者からブログ記事の間違いを指摘されて知らぬ存ぜぬの態度を徹し、ニセ科学批判者が去った後で間違っていた記事を正しい内容に書き直し、
 「私の記事に科学的な間違いは一つもなかった。あの者の批判は的外れだった」
 と勝利宣言し、それを後日に知ったニセ科学批判者は呆れ果て、
 「あのような態度を見せたとあっては、愛読者の信用をたちまち失ってしまったことでしょう。ブログの閉鎖は必定ですね」
 と予想するも、愛読者たちは賛美の声をあげて更なる信用を表明し、ニセ科学批判者に、
 「うむ……。あのブログに集まっている愛読者たちは、管理人を妄信しているだけの、非合理に魂を縛られた人々のようだな」という『逆襲のシャア』風の台詞を述べさせる者。

 このように、科学的な知識も学習意欲も、ネット上で追っている批判対象の範囲も、ニセ科学問題に関わるきっかけも、論者は皆、違っておるのだ。

 そう、ネット上の論者は自己肯定に飢えている。だからこそ論者はdisり合い、相手の主張に間違いを見つけて狂喜し、そこに自信が生まれる。

 相対主義は! ……一部のネット上で言われているほど駄目なスタンスではない。「科学絶対主義」と呼ばれるものこそが、かなりの確率で変なのだ。

 客観的な事実を重視するネットモヒカン族は、どうだ。数多のムラビト的な論者の間違いを修正することに、貴重な時間を浪費している。

 科学とニセ科学を区別したがるニセ科学批判者は、頑固なニセ科学信奉者との対話に疲れるばかり。

 だが、我が相対主義は違う。のんびりまったり、安楽椅子からネット上に向かって傍観者なりの言論を放つことができる。

 我が相対主義だけが前へ後ろへ、右へ左へ、上を下への大騒ぎを呈することなく佇んでおるのだ。

 我が模範とするニセ科学批判ウォッチャーが、菊池誠教授の運営するブログ「kikulog」の常連から総ツッコミを貰って退場した過去の出来事も、
 「悪しき相対主義に陥っている。まともな科学の議論は期待できそうにない」
 と判断されたことは表向きの理由であり、実のところは、
 「私達のニセ科学批判活動が、たった一人の傍観者にあっさり論破されてしまうのではないか?」
 という恐れを懐かれていた証。

 いまこそ、世のニセ科学批判者たちを完全論破に追い込むために立ち上がるのだ!

 科学絶対主義と競い、曖昧な言葉を駆使して相手の思考を奪い支配し、
 「その批判は的外れですね。私の真意は、そういうところにありません。もう一度、私の抽象的な論を正確に読解する努力をしてくださいね」
 という台詞を繰り返し、具体論を期待していたニセ科学批判者たちが呆れて議論の場から去った果てには、
 「ニセ科学批判者たちは反論できずに沈黙しました。よって、我々の主張の正しさが証明されました」
 という勝利宣言の未来がある! オール、ハイル、相対や!

 読者達:「オール、ハイル、相対や」「オール、ハイル、相対や」「オール、ハイル、相対や……」

2014年08月16日

技のネタ『逆切れマヌーサ』

 「逆切れマヌーサ」とは、ある罵倒芸の隠者が、「ドラゴンクエスト」に登場する魔法の「マヌーサ」をヒントにして開発している技である。

 完成の暁には、「空振りのツッコミを披露し、議論の相手から誤りを指摘された後、逆切れしながらごまかして議論の負けを防ぐ」という効果を発揮する。

 ネット上の議論を幾つか眺めていると、次のような論者の姿を目撃することがある。

 ・まずは、専門的な科学の話を交わす人々が集う場に乗り込み、自信満々でツッコミを放つ。

 ・ところが、逆に総ツッコミをもらってうろたえる。

 ・そうこうするうちに、自分の主張に誤りがあったことを、薄々ながら認識する。

 ・しかしながら、「素直に誤りを認めると、なぜか負けたような気がするから嫌だ」という思いが強くなり、誤りを認めない

 ・ただし、「誤りが明らかになった主張を続けることも嫌だ」という思いもある。

 ・そこで、次のように述べて場を収めようとする。
 『自分は科学の素人だ。不正確なことを言って、何が悪い』
 『単に私は、問題提起がしたかっただけだ。現に、世間の注目を集めたではないか』
 『なるほど、結果だけを見れば、この私が議論に敗れたように見えるかもしれない』
 『しかし、これもまた私が当初に予測したとおりの展開なのだ』

 『あえて私は幻の主張を作り出し、何度も空振りのツッコミを披露することによって、「あの御方は、何に向かって切り込んでいますの?」という感じで、一般大衆の注目を集めるという計画を立てていたのだ』
 『それは実行されて、成就した』
 『ゆえに、【今回の議論は科学素人である私の完全勝利でした(^^)v】という結論になる

・そのように述べた後、四方八方にドヤ顔を決めつつ議論の場から去る。

 この場合、「逆切れマヌーサ」に近い技を使用した可能性が高いのだという。
・・・・・
 読者様も、「議論の途中で私が相手の間違いを指摘すると、なぜか相手は開き直って言うに、
 『私は素人だ』『不正確なことを言って当然だ』『問題提起したのだ』
 『おかげで世間が多大な関心を寄せたではないか』
 『よって、あなたは私の蛮勇をありがたく思うべき立場なのである』
 という言葉を並べて消え去ったけれど、一体なんだったのかしら?」
 と不思議がる論者を見かけた際は、
 「それは、逆切れマヌーサに近い技を使用されたのですよ。あなたは、知らないうちに負けてしまったのです
 と教えてあげよう。

2014年08月13日

ネタ話『科学の専門家でもない人がニセ科学か否かを判断してはいけないと主張した者』

 ある町の広場で、ニセ科学批判者が演説していました。
 「…というわけで、比嘉氏のEMに関する話にはニセ科学的な内容が含まれています」
 「町の皆さん、比嘉氏のEMの製品を勧められた際には、その謳い文句の内容が科学的に妥当なものか、じっくりと吟味してください」

 ニセ科学批判者が演説を終えると、中立を名乗るBさんが現れて言いました。
 「町の諸君。科学的に怪しい話を聞いても、科学者ではない諸君がニセ科学か否かを判断してはいけない」
 「ニセ科学か否かは、科学の専門家しか判断することができない」
 「科学の専門家でもない諸君は、比嘉氏のEMの話を聞いた際にニセ科学か否かは判断せず、ニュートラルな思考で受け止めてあげねばならない」

 「というわけで、『比嘉氏のEMは謳われているとおりの効果が確認されていないにもかかわらず、その謳われている効果が実際に確認されたかのように話を展開しているからニセ科学なのだ』などと言ってはいけない」

 「そして、『あの比嘉氏は効果が出るまでEMを使うべきだ、途中で諦めてはいけないという感じのことを主張してるらしいけど、それって結局、なかなか目に見える効果が出ないということの裏返しですやん? どれだけ購入者の銭をEMにつぎ込ます気やねん!』などと言ってはいけない」

 「ましてや、『比嘉氏のEMに関する話は典型的なニセ科学ですが、これをニセ科学と判断できないとは慎重な態度にも程がありませんか? もしかしてBさんは、比嘉氏のEMに関する話の具体的な内容をご存じない?ならば、比嘉氏のEMのサイトを訪れて記事を熟読してください。次第に頭がクラクラしてきますよ!』などとは、絶対に言ってはいけないのである」
 
 「もちろん私は、比嘉氏のEMに関する話を熟知している」
 「しかしながら、私は科学の専門家ではない。よって、比嘉氏のEMに関して私がニセ科学か否かを判断することはできない」
 「あのnothima氏も、ご自身のブログ記事のまとめの部分で、『「ニセ科学」と断定するのは専門家の仕事です』と言っている」
http://nothima.hatenablog.com/entry/2014/08/04/224847

 「ここで、私の言いたいことを纏めるとする」
 ・ニセ科学か否かは、科学の専門家しか判断してはいけない。科学者ではない諸君は、専門家の意見を待つこと
 ・ただし、「それはニセ科学で間違いないです」とあっさり断言するような専門家の意見を受け入れてはいけない(雑な考察の可能性があるため)
 ・あっさりニセ科学だと断言せずに、話の内容を細かく吟味したうえで、「これはニセ科学と看做してもよろしいでしょう」と述べる慎重派の専門家の意見も、受け入れてはいけない(権威主義に陥るため)
 ・科学の専門家でもない者が怪しい話を耳にした際は、「なんとなくニセ科学っぽいかも?」なとど余計なことは考えず、ニュートラルな思考で受け止めてあげること。これが真の科学的な態度である

 「以上で、私の主張を終える。この話を聞いた諸君に賢明な共感があることを、私は望んでいる」

 Bさんの演説を聞き終えた町の人々は、納得しました。
 その翌日から町の人々は、科学的に怪しい話を聞いても批判せず、ニュートラルな思考で受け止めることを実行しました。

 やがて、科学的な思考を軽視し始めた町の人々は、数多のニセ科学的な製品を購入するようになりました。
 その状況を憂慮したニセ科学批判者は、何度も忠告しました。
 しかしながら、町の人々は聞き入れるどころか、逆に怒りを表明しました。
 「我々に説教するな。我々に指図するな」
 「我々は、科学的にニュートラルな思考で購入している。我々を科学の素人と見下す傲慢なニセ科学批判者は、樫の木の枝に留まって詩でも書いていろ」

 それを聞いたニセ科学批判者は、失望しました。
 「ああ、この町で私の話を聞いてくれる人は居なくなったのだ。私のニセ科学批判活動は、徒労で終わったのだ。このうえは、引退を表明して町を出るしかない」
 言い終えたニセ科学批判者は、自分探しの旅に出ました。

 それからしばらくした後、町の人々はニセ科学的な製品に全財産をつぎ込んで破産しました。
 破産宣告を済ました町の人々は、Bさんの家に赴いて抗議しました。「Bさんの考えを実行した結果が、これだ。どうしてくれる」
 しかしながら、Bさんは余裕で言いました。「私は、個人的な考えを述べたにすぎない。私の主張を疑いもせず、鵜呑みに信じて実行した諸君の責任ではないのかね?」

 それを聞いた町の人々は、言い返すことができませんでした。
 事態を打開する妙案が浮かばなかった町の人々は、泣き寝入りを選択するしかありせんでした。
 以上、「科学の専門家でもない人がニセ科学か否かを判断してはいけないと主張した者」というお話でした。

NATROMさんのブログのコメント欄と、コールド・リーディング

 「NATROMの日記」様の記事、「海水を点滴したというルネ・カントン氏について調べてみた」のコメント欄でtentenさんのコメントを読みました。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20140804
 (以下、引用です)
 >宋さん自身がしないにですか?笑

 この言葉を初めて目にしたとき、私は「しないにって、何? 『宋さんが市内に居るよ』って意味?」と思いました。
 どうやら、その後のNATROMさんとtentenさんの遣り取りを見ると、次のような読み解きが正しいものと思われます。
 『あの宋美玄氏はテレビで不正確なことを言った後、なんの訂正も謝罪も行っていない。そのような状況の中、なぜに私が一人だけで謝罪の言葉を述べねばならんのだ? 不公平ではないか!』

 その後のtentenさんはNATROMさんからの、「宋先生が誰かに対して訂正・謝罪する必要があるのでしょうか?その理由は?」という質問に対して直ぐには答えませんでした。
 「自分は間違ったことを言っていない」という考えがあると同時に、「もしかしたら、自分は間違ったことを言っていたかもしれない。しかしながら、謝罪の言葉は述べたくない…。だって、何かに負けたような気がしますから!」という考えがあったのでしょう。
 だからこそ、NATROMさんの質問に対してtentenさんは直ぐに答えることが出来なかったのです。

…以上は全くの憶測ですが、先の読み解きと合わせて考えると、意外に当たっていたりするような自信が私に溢れています。
これがいわゆる、コールド・リーディングというものなのでしょうか?

 (2014年8月21日の追記)
 コメント欄に再びtentenさんが現れました。NATROMさんの予想通り、今のところ質問に真正面から答えてる様子は見られません。
 ところで、「しないにですか」という言い回しは、「議論で負けないための言葉」に成りつつあるようですね。

 今後の展開を予想すると、tentenさんが曖昧な言葉を述べてNATROMさんたちのツッコミを誘い、「それは私の真意ではありません。よって、あなた方の批判は的外れです。もう一度、私の過去のコメントを読んでくださいね」という感じの展開がしばらくあると思います。
 そして、皆が呆れて相手にしなくなったときにtentenさんは勝利宣言して去るのです。

 この予言は当たると思います。なぜならば、
 ・過去にも似たようなケースがあった
 ・よって、今回もしばらくはボケとツッコミが繰り返される
 ・皆が厭きた頃に、tentenさんは完全勝利を謳って去る
 ・それを見送る皆は、「毎度おなじみの展開じゃったな。そういえば、あの人は今なにをしておるのかのう…」と昔に思いを馳せる
 という考え方です。これは、論理的に正しい考え方です。
posted by TAKA at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする