2014年09月17日

「もしもアニメの『ポケモンDP』に登場するウラヤマさんが、『歴史修正主義をスルーするニセ科学批判クラスタは無意味なクラスタである』という主張を聞いた後、自分の屋敷の裏庭に珍しい技を持つポケモン達を集めて訪問客に紹介したら」と考えました

 ウラヤマさん:「どうだい、私の屋敷の裏にある広い庭には、マウンティングの見事なポケモンが、たくさん集まっているだろ?」

 ウラヤマさん:「あちらに居るポケモンが自論を披露すると、こちらに居るポケモンが即座にマウンティングを仕掛けているだろ? うらやましい光景だろ?」

 ウラヤマさん:「いやあ私も、あのポケモンたちのように議論の場で存分にマウンティングを仕掛けてみたいものだよ。あっはっは」

 タケシさん:「す、すごいポケモンたちだ! ポケモン語で会話しているから何を議論しているのかさっぱり分からないが、どのポケモンもドヤ顔だけは見事だ!」
 「一体どういう風に育てたら、あんな技を身につけさせることができるんですか!?」

 ウラヤマさん:「なあに、簡単だよ。『何事も主語を大きくして語りなさい。議論の場で発言する際は、その場の誰よりも常に自分が上位に立つことを心掛けなさい』と教えてあげれば良いのだよ。あっはっは」

 タケシさん:「分かりました! ポケモンブリーダーとして大変勉強になりました! ありがとうございます!」

 サトシさん:「そっか、だったら俺も、あの技を手持ちのポケモンに覚えさせよう。これでジム戦は連戦連勝だ」

 ヒカリさん:「ダメよサトシ。あの技をポケモンに覚えさせてもジム戦には何の役にも立たないと思うし、ジムリーダーたちに悪い印象を与えるだけよ」

 ウラヤマさん:「あっはっは、鋭い意見だ。ヒカリさんも、見事なマウンティングを決めたようだ。うんうん」

 ヒカリさん:「いや、べつに私はマウンティングを決めようとしたわけじゃなくて、現実的なことを言っただけです」

 ウラヤマさん:「なるほど、私もマウンティングされてしまったようだ。さすがは現役のマウンティング女子さんだ。あっはっは」

 ヒカリさん:「いや、現役とか意味不明です」

 サトシさん:「ピカチュウ! あの岩に向かって、主語の大きな論を語りながらアイアンテールだ!」

 ピカチュウ:「ピッ、カ……。(また、無茶な指示を……)」

 サトシさん:「どうした、ピカチュウ? 主語の大きな論を語りながらアイアンテールすればいいんだよ? お前ならできるだろ、ピカチュウ?」

 ピカチュウ:「ピッ、ピカ……。(だから、できるできないの問題じゃなくて、アイアンテールを繰り出すときに余計なことをしていたら、相手が余裕でアイアンテールを避けちゃうでしょ……)」

 サトシさん:「ピカチュウ! どうして困惑した表情を浮かべながら固まっているんだ、ピカチュウ!」

 ヒカリさん:「もうやめなさい。旅を続けるわよ」

 タケシさん:「そうだな。ウラヤマさん、ありがとうございました」

 ウラヤマさん:「いやいや、また訪問してくれたまえ、そのときも私の広い裏庭でもてなしてあげよう。あっはっは」

 【ナレーター】:『こうして旅の途中のサトシたちは、議論におけるマウンティングという技の存在を知ることができたのであった。続く』

 サトシさん:「ピカチュウ〜ッ! 主語の大きな論を語るんだあっ、ピカチュウ〜ッ!」

 シンジさん:「相変わらず救いようのない奴だ」

 (このネタの記事は、次の『はてなブックマーク』のlastline様のお言葉にインスピレーションして作りました)
 『はてなブックマーク - 「疑似科学」の範囲のややこしさ、あとことばでくくること - 思索の海』
 >主語がでかい問題。なんかよくわからんのだが、歴史修正主義を批判する人って前提条件をすっ飛ばしすぎだと思うんだよなぁ。だから、主語がでかく限定しないで話し出す

(関連記事)「もしもポケモンアニメに登場するサナさんが、ポケビジョンでニセ科学批判批判をパフォーマンスしたら」と考えました

2014年09月14日

「もしも6人の異なる芸風の論者が、漫画『ナポレオン・獅子の時代』で使用されたセリフ、『大陸軍は世界最強!』風の言葉で自己紹介したら」と考えました

 ナレーター:「あるブログに、6人の異なる芸風の論者が集って討論を行おうとしていた」

 司会者:「ここに集まりし6人の論者たちよ! おのれの立場が如何なるものであるか、ROMたちに向かって紹介のコメントを言ってみろ!」

 1人目の論者:「それでは自己紹介します。わが疑似科学批判はぁっ! ネット上で最強ぉっ!」

 2人目の論者:「それは面白い自己紹介ですね。私も真似して述べましょう。わがニセ科学批判はぁっ! ネット上で最強ぉっ!」

 3人目の論者:「ふむ。ならば私も、そのように。わが歴史修正主義批判はぁっ! ネット上で最強ぉっ!」

 4人目の論者:「では我輩も、真似させてもらうとする。わが非合理批判はぁっ! ネット上で最強ぉっ!」

 5人目の論者:「私も流れに乗って言いましょうかね。わが逆張り芸はぁっ! ネット上で最強ぉっ!」

 司会者:「いや、逆張り芸の論者ならば、流れに乗っちゃ駄目でしょう?」

 5人目の論者:「はっ! そうでした! 私としたことが!」

 ほかの論者たち:「まったく、しっかりしてくださいよ、あはは」

 6人目の論者:「いやはや皆さん、実に勢いのある自己紹介でしたね(笑)」

 6人目の論者:「などと感心してあげたものの、残念ながら皆さんの立場は、私よりも下位なのです(笑)」

 6人目の論者:「なぜならば、皆さんの立ち位置は相対的にどれも同じだからです(笑)」

 6人目の論者:「それに気がついている私こそが、『ネット上で最強!』の論者だったりします(笑)」

 6人目の論者:「というわけで皆さん、無意味で視野が狭くてちっぽけな優越感の大胆な発露、まことにお疲れさまでした(笑)」

 6人目の論者:「なお、この私の主張に疑念を生じ、次のようなコメントを述べたいと考えるROMの皆様もいらっしゃると思います(笑)」
 『あなたは誰ですの?』
 『何を言っていますの?』
 『あなたがネット上で最強の論者ですって? そんなわけがないでしょ!』
 『貴様、もしや悪しき相対主義者だな? だとするならば、今すぐに議論の場から消え去れ!』
 『そうよ! 私は、悪しき相対主義者以外の5人の論者で行なわれるプロレスを見たいのよ!』

 6人目の論者:「このようなROMの皆様も、相対的には他の5人のお方と同じ立ち位置だったりします(笑)」

 6人目の論者:「ようするに、万物を相対的に見るという高みの立ち位置に登ってこない限り、皆さんは私の立ち位置に並ぶことが永遠にできないというわけですね(笑)」

 6人目の論者:「ああ、またしても勝ってしまいました(笑)」

 6人目の論者:「これでも随分と、手加減して差し上げているんですよ(笑)」

 6人目の論者:「いやしかし、皆さんのレベルに合わせて視野の狭さを演出することは、実に難しいことですね(笑)」
 6人目の論者:「まだまだ私も、修行不足なのでした(笑)」

 6人目の論者:「それを鑑みると、修行不足の私にあっさりと負けてしまう皆さんの立ち位置って一体(笑)」

 6人目の論者:「いや、これ以上は申しますまい(笑)」

 6人目の論者:「己の小ささを知って自己嫌悪に陥りつつ寂しく帰っていく皆さんの後ろ姿を見ることなど、私はまったく望んでいませんからね(笑)」

 6人目の論者:「なんて私は、優しくも心の広い論者なのでしょうか(笑)」

 6人目の論者:「この私の心の広さを例えるならば、『説明書も読まずにプレイ開始のボタンを押した後、「何をしたらええねんorz」と言って頭を抱えるビデオゲームのスターラスターの空間』と同じくらいの広さです(笑)」

 6人目の論者:「そうそう、心が広いといえば『ソラリスの海』も天体なみの心の広さを持つとか持たないとか、ははっ、どっちやねん(笑)! いい加減にしなさい(笑)! もうええわ(笑)!」

 それを見ていたROMたちの反応:「……(゜o゜)」

 ナレーター:「このようにして、その6人の討論は『誰がよりドヤ顔を決められるか?』というマウンティング大会に移行し、途中で5人が消耗を覚えて沈黙し、6人目の論者だけが最後まで自分の一人勝ちをアピールし続けて、終わった」

 6人目の論者:「今日もまた、私の悪しき相対主義が歴史に勝利を刻んでくれました(^^)v」(完)

2014年09月13日

「もしもアニメ『天空の城ラピュタ』に登場するムスカさんが、『江戸しぐさ』について語った後、読者の支持をひとつも得られずに気落ちしたら」と考えました

 ムスカさん:「はっはっは、江戸しぐさについて語るとするかね」

 ムスカさん:「思考がお花畑な者には、丁度よい目くらましだ」

 ムスカさん:「江戸しぐさを事実と信じる一般人のアホなリテラシーには、心底うんざりさせられる」

 ムスカさん:「錯誤の習得が教育の場からとは、上出来な民度じゃないか

 ムスカさん:「事実を装っていなければ、誰もこれほどまでに信じはしなかっただろう」

 ムスカさん:「欺瞞の流行はお嫌いかね」

 ムスカさん:「非合理の浸透に脅えることはない」

 ムスカさん:「この国の批判的思考は、はじめから死んでいる」

 ムスカさん:「かつて非科学的な思考は、原始人が地上で生きるための秩序として働いていた

 ムスカさん:「そして現在の我々は、非科学的な思考を多様性と称して詐欺被害予備軍を生み出している

 ムスカさん:「この非科学的な思考の伝統を、素晴らしく最高のジョークとは思わんかね」

 ムスカさん:「今さら諸君が批判したところで、江戸しぐさは滅びぬ」

 ムスカさん:「たとえ衰退に追い込んでも、ほとぼりがさめれば何事もなかったかのように蘇るさ」

 ムスカさん:「過去の美化こそ、老いて耄碌した人類が見る必須の夢だからだ」

 ムスカさん:「もっとも、この国の民が生涯の独裁権を私に預けると約束するならば、私は直ちに全ての非合理を姿なきまでに焼き払ってみせるがね」

 ムスカさん:「私の感想は以上だ」

 ムスカさん:「三分間だけ意見を受け付けてやる」

 ムスカさん:「……」

 ムスカさん:「約一分の時間が経過した。さっそく、一般人から寄せられたコメント群を読んであげるとしよう」

 ムスカさん:「……」

 ムスカさん:「disがあ〜!?

 ムスカさん:「インテリ層の頂に立つ私としては、至極まっとうな考え方を提示してあげたにもかかわらず、分かっていない愚民どもからは、disがあ〜!?

 ムスカさん:「ディ〜!?」「ス〜!?」「が〜!?」「あ〜っ!?

 シータさん:「そうよ、パズー。こうしてムスカ氏は、聴衆からの意外な批判に驚いて、永遠のオフラインに落ちてしまったの」

 パズーさん:「えっ、まじっすか。そんな理由で、ロムにムスカさんは戻ったんすか。というか、ムスカさんでも気落ちすることがあるんすか?」

2014年09月12日

dlitさんの記事から思いついた、「ニセ科学批判に勝つ方法」に関するちょっとしたメモ

 (注:この記事は、「世の全てのニセ科学批判者に勝ってしまうような論を作るには、一体どのようにすれば良いのであろうか? 少しくらい、ツッコミどころが満載であっても」という発想で書いた記事です。『なんでもいいの。常勝の論者になるヒントを私は知りたいの』という御方は必見かもです)

 ある日、IBMの5100なるコンピュータの現物を見ることを目的として1970年代にタイムトラベルする準備を進めていた私は、それに関する情報をネット上で探しているうちに次の二つの記事を発見した

 『「疑似科学」の範囲のややこしさ、あとことばでくくること - 思索の海』
http://d.hatena.ne.jp/dlit/20140911/1410405410
 『はてなブックマーク - 「疑似科学」の範囲のややこしさ、あとことばでくくること - 思索の海』
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/dlit/20140911/1410405410

 読み終えた私は、「ニセ科学批判に勝つ方法」を思いついた

 ・まずは、あなたが次のように主張する:
 「これこれの事柄をスルーしてニセ科学を批判する行為は、無意味な行為である」

 ・すると、読者から次のような意見をもらう:
 「いや、それを言い出すと、あれをスルーするニセ科学批判は無意味だとか、それをスルーするニセ科学批判も無意味だとか、色んな立場の人達が『○○をスルーするニセ科学批判は無意味な批判』と言い始めて消耗的な議論に発展すると思います」
 「そのような議論で消耗することこそ無意味なので、結局は各々ができる範囲で批判活動を行うしかないと私は思います」

 ・それを聞いたあなたは、次のように述べる:
 「別に私は、いかなる分野にも首を突っ込んで片っ端から批判するべきだと言っているわけではない」
 「これこれの事柄を踏まえたうえでニセ科学を批判しなければ、必ず無意味なニセ科学批判となると言っている」

 ・すると、読者から次のような意見をもらう:
 「なるほど。本当に『必ず無意味になる』か否か私には分かりませんが、ともかく言いたいことは理解できました」
 「ところで、『これこれの事柄を踏まえずにニセ科学を批判していた人』の具体的な名前を教えてください。具体的な例を出してもらえるならば、さらに私は納得できると思います」

 ・あなたは、次のように述べる:
 「それについては、読者の諸君がそれぞれで思い当たる人物が居るであろう。この場で私が口に出して言うまでもないことだ」

 ・あるいは、次のように驚く:
 「そんなことも知らないで貴公は、私の主張をdisっていたのか…? なんと、大胆な無知の披露なのであろうか!」
 「まったく、これだからニセ科学批判の現状を疑いもせず鵜呑みに支持している者は駄目なんだ」
 「真実から目を背けて私に的外れな質問を送ってくる能天気な者は、幻夢境にでも引っ込んでいなさい」

 ・もしくは、次のように述べる:
 「貴君の言うとおりだ。具体例を出して主張することは、論者の発言に説得力を与えるのだ。それに気がついた貴君の賢明を褒めてあげるとしよう。以上だ」

 ・意外性を演出したい場合は、次のように述べる:
 「はっはっは、なにを隠そう、私が具体例なのだ! 私は、自分で自分の批判活動を無意味だと言っていたのだ! どうだ!」

 ・少しひねったリアクションの場合は、次のように述べる:
 「実はじゃな、今回のワシが見せた主張はじゃな、ある目的があってニセ科学批判者達を試したのじゃな」
 「それでは、ワシの目的とは一体なんじゃろな?」
 「それを発表することはじゃな、今はまだ時期が早かったりするのじゃな」
 「というわけでじゃな、『時期が熟しおった!』とワシが判断した際にじゃな、その目的の内容を明らかにしてあげるのじゃな」
 「その日が来るまで読者殿は楽しみに待っていてくれたまえ、ということじゃな」
 「もちろん、そのまま忘れてしまって、『はて、そのような事があったかのう? もしや読者殿は、別の世界線で出逢った別のワシの言動と、こちらの世界線に存在するワシの言動を、ごっちゃにしておられるのではないかのう?』などとは、絶対に言わんのじゃな」

 ・そっけない態度を見せる場合は、次のように述べる:
 「私は論理上の話を語っていたにすぎない。現実の世界で誰が当てはまるか否かなど、私の関知するところではない」

 ・普通に述べる場合は、次のように述べる:
 「私のブログの過去記事を読みたまえ。君の求める答えが書いてある」

 ・具体例を提示してあげるか否かを決める前に、「とりあえず、この辺りでワンクッションのボケを披露しておくべきだ」と思った場合は、次のような悪しき相対主義を述べる:
 「今から私は本質を指摘します。『これこれの事柄をスルーするニセ科学批判は、無意味なニセ科学批判である』という主張と、『世のニセ科学批判者達の活動を無意味と断じてしまうとは、なんと凄い御方であろうか。よほど自分の批判活動に自信があるのだろう。私も真似して高みの気分を味わってみたいものだが、そこまでの勇気を持ち合わせていない。結局は、今までどおり自分にできる範囲の批判活動を粛々と行うのみだ』という主張は、相対的に同じです」

 ・テンションの高いネットモヒカン族になる場合は、次の台詞を述べる:「ヒャッハッハ、俺の目の前に居るお前こそが、無意味なニセ科学批判者だあ!」

 ・とりあえず本日は、ここまで思いついたのだった

 ・以上、ニセ科学批判に勝つ方法に関するちょっとしたメモであった

 (2014年9月12日の追記)
 ・仕上がった記事を後になって読み直したところ、「今ひとつ趣旨を伝えきれていないのではなかろうか?」と思える部分があったので修正した

 ・大枠の形での趣旨は以前と変わっていないので、常勝の論者になるヒントを探求していた読者様はご安心あれ

2014年09月10日

ネタ話『あれやこれやをスルーして行うニセ科学批判は無意味な活動』

 そのブロガーであるAさんがニセ科学批判的な記事を初めて書いてネット上に披露すると、ベテランの陰謀論批判者を名乗るBさんが現れて言いました。
 「あなたは気がつくべきである。陰謀論をスルーするニセ科学批判が無意味であることに」

 なるほどと思ったAさんが陰謀論を批判する記事を書いてネット上に披露すると、ベテランのオカルト批判者を名乗るCさんが現れて言いました。
 「あなたは気がつくべきよ! オカルトをスルーするニセ科学批判なんて無意味なの!」

 なるほどと思ったAさんがオカルトを批判する記事を書いてネット上に披露すると、ベテランの非合理批判者を名乗るDさんが現れて言いました。
 「個別に少しずつ批判しても無意味なのじゃ」
 「世の全ての非合理を批判してみせるぞ! …という気概を持つことじゃ」
 「それが、一番の合理的な批判活動というものじゃ」
 「というわけでA殿は、あの分野のあれを批判するのじゃ」
 「この分野のこれも批判するのじゃ」
 「その分野のそれも批判するのじゃ」
 「菊池誠教授が呈するぼっさぼさの髪型も、よく批判してあげるのじゃ」
 「それらを批判した後はじゃな、ワシが若かりし頃に世界中を駆け巡って非合理批判で大活躍して世界のインテリ層から大喝采をもらった話をA殿に朝飯前から夕飯後までじっくり聞いてもらってじゃな、云々」

 Dさんの話を途中まで聞いたAさんは、天を仰いで嘆きました。「ニセ科学を批判しても駄目。陰謀論を批判しても駄目。オカルトを批判しても駄目。結局、僕の言論活動は全否定されるんだ。引退しよう」

 言い終えたAさんは、ブログを閉鎖してネットの果てにある岩山に身を隠しました。
 以上、「あれやこれやをスルーして行うニセ科学批判は無意味な活動」というお話でした。

 (このネタ話は、次の記事を読み終えた際にインスピレーションして作りました)
 『はてなブックマーク - apesnotmonkeys on Twitter 歴史修正主義をスルーしておいて疑似科学を批判しても無意味、ということにそろそろ疑似科学批判クラスタは気づかれたであろうか。』

「釜石の奇跡は奇跡ではない」そのように語る片田敏孝さんの話を聞いて私が懐いた感想

 つい最近の私は、「釜石の奇跡」の話に興味を持ったので少し調べたところ、片田敏孝さんが語っている記事を発見しました。
 「小中学生の生存率99_8%は奇跡じゃない 「想定外」を生き抜く力 WEDGE Infinity(ウェッジ)」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312

 この記事を読み終えた私は、次のような感想を懐きました。「なるほど。震災が起きる数年前から、生徒達は防災に関する知識を高めていたのだ」

 「その防災に関する知識を忘れていなかった為に、地震発生直後に混乱はあったものの、津波の被害が及ばない場所にまで生徒達は避難できたのだ」

 「それにしても、片田敏孝さんの考え方は一々納得できた。参考になることが、山ほどあった。たとえば、『率先避難者』という考え方は、なるほどと思った」

 「少なくとも、『災害が発生した時に冷静な判断で行動することは危険であり、パニック的な行動こそが合理的であり生存率を高める行動だ』という感じで主張していた「デマこい!」さんの考え方よりも、片田敏孝さんの考え方に私は説得力を感じた」

 「私は『デマこい!』さんの主張の仕方に疑問を持っていたが(たとえば、進化論の話など持ち出さず、単純に道徳の話として『パニック的な行動を見せる人に対して笑い飛ばすような態度はよくない』と言えば分かりやすくて良かったのではなかろうか、という疑問を述べた)、片田敏孝さんの考え方を知った今は、さらに『デマこい!』さんの考え方に対する疑義を強くした」

 「というわけで、片田敏孝さんの話から私が学んだポイントを整理する」
 『防災に関する知識を、自分の頭に普段から徹底的に入れておくこと』

 『そうすれば、災害が発生したときにパニックにならず、冷静な判断を行うことができる』
 『その結果、生き延びる可能性が高くなる』

 『私の住む地域で災害が発生した際は、「冷静な判断は駄目だ、パニック的に行動するべきだ」などと思わず、片田敏孝さんの考え方を参考にして適切な避難ができる様に私はありたい』

 「そのように思った次第である」
 「以上で、私の感想を終えるとする」
posted by TAKA at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする