2014年12月26日

技のネタ『個別の話に一般論を投げて完全否定するドレインパンチ』

 「個別の話に一般論を投げて完全否定するドレインパンチ」とは、ある罵倒芸の隠者がポケモンの技である「ドレインパンチ」をヒントにして開発している技である。

 完成の暁には、次のような効果を発揮する。
 「個別の話をしている人に向かって一般論を語ってあげた後、『よってあなたの主張は完全に誤りだと言える』と結論してあげて、議論の勝ちを自分のほうに吸い寄せる

 この技は、議論の相手が具体的で細かい話を語っていたときに使用すると効果的である。

 たとえば、ニセ科学批判者が身近で起きたニセ科学被害の話を述べているときに、
 「そのような話をしても無駄である」
 「この国の至る所で、あなたの話と全く同じニセ科学被害が発生しているわけでもないのだから」
 「この国の全ての民にとって、あなたの話は特殊すぎて何の参考にもならないのだ」
 と述べると、議論の勝ちを自分のほうに吸い寄せることができる

 また、ニセ科学批判者が国の規模でニセ科学被害の話をしているときは、
 「そのような話をしても無駄である」
 「この地球の至る所で、あなたの話と全く同じニセ科学被害が発生しているわけでもないのだから」
 「地球に住む全ての人類にとって、あなたの話は特殊すぎて何の参考にもならないのだ」
 という感じで反論すると、議論の勝ちを吸い寄せることができる。

 そして、ニセ科学批判者が地球規模でニセ科学被害の話をしているときは、
 「そのような話をしても無駄である」
 「この銀河系の至る所で、あなたの話と全く同じニセ科学被害が発生しているわけでもないのだから」
 「銀河系に住む全ての知的生命体にとって、あなたの話は特殊すぎて何の参考にもならないのだ」
 という感じで反論すると、議論の勝ちを吸い寄せることができる。

 この他にも、「しかしながら宇宙全体で考えてみるならば」とか、
 「しかしながらパラレルワールドを考慮に入れるならば」とか、
 「しかしながら、遠い過去と遠い未来を含めたすべての時間においては、云々」という感じの反論を行った場合でも、
 相変わらず議論の勝ちを自分のほうに吸い寄せることが可能である。

 実際にネット上で行われている議論を幾つか眺めていると、
 「まずは誰かが身近で起きた小さな出来事を語り、次に一般論を述べる者が現れて完全否定し、
 それに聴衆が賛同し、身近な出来事を語った最初の人が、
 【そんな大きな話を私の小さな話に覆い被せて否定するなんて】と失望しながら消え去る」
 という流れを目撃することがある。

 この場合、「個別の話に一般論を投げて完全否定するドレインパンチ」に近い技を使用された可能性が高いのだという。

 読者様も、今後は「個別の話に一般論を投げて完全否定するドレインパンチ」を意識しながらネット上の議論を眺めてみよう。

 「あれは違う技のようだ」とか、「おや、今度は『個別の話に一般論を投げて完全否定するドレインパンチ』に近い技を使用したようだ。効果は今ひとつのようだっただが、全くの無駄技とも言えないようだ。聴衆の中から、支持を表明する人がボツボツながら現れている」
 という感じで眺めることができる。
(関連記事)
 技のネタ『一般論ドレインパンチ』
タグ:ポケモン

鈴木謙介氏と荻上チキ氏が呈していたニセ科学批判批判からポケモンの技を思い浮かべる

 ある日、私は「後藤和智の雑記帳」というブログの記事「あまりに勘違いに満ちた…」を発見した。
 読み進める途中の私は、次のような感想を懐いた。

 「ふむ。当時の鈴木謙介氏と荻上チキ氏は、世のニセ科学批判者達に対して苦言を呈していたらしいが、」
 「当時の世のニセ科学批判者達も、鈴木謙介氏や荻上チキ氏に対して同じ内容の苦言を呈したくなったであろうな

 そのように思って読み進めていると、後藤和智氏の記事は次のような感じで終わっていた。
 (以下、引用)
 >結局鈴木らのニセ科学批判批判が的外れに見えるのは、ニセ科学批判の現状も、またその周辺や根本に位置する科学論、科学哲学への言及も薄いまま、

 >ニセ科学批判論者の(鈴木らが考えるところの)社会学の言葉を使ってメタに立ったつもりになっているからだろう

 >結局「プギャー」と言いたいのは鈴木らのほうなのではないか、という疑念が私からは消えないのである

 なるほどである。これはつまり、
 「他人の批判スタンスに向かって的確ではないdisを放ったとき、そのdisが倍になって自分に返ってくる」という、
 まるでポケモンの技の「カウンター」や「ミラーコート」を受けたような状態になる場合があるということである。

 「世のニセ科学批判者達が見せるスタンスは駄目すぎである」と述べる前に、
 「そういう自分のスタンスはどうなのか?」
 「世のニセ科学批判者達のスタンスを片っ端からdisれるほどに、自分のスタンスは頑丈なものなのか?」
 「かえってツッコミどころを提供する事態になりはしないか?」
 という感じで思いを巡らせることが必要なのかもしれない。

 ちなみに、次のようなスタンスを採る場合は事前の内省など一切不要である。

 「この私は、高所大所から苦言を送ってあげる立場の傍観者である
 「その後の具体的な実践は、ニセ科学批判者である君達で行ってくれたまえ

 とにもかくにも、当時の鈴木謙介氏や荻上チキ氏が呈していたニセ科学批判批判は、常勝の論者への道を探求する私にとって大いに参考となった。
タグ:ポケモン

2014年12月23日

『thesecret3氏のコメントから思いついた穏健派の罵倒芸の論者達に勝つ方法』

 ある日、私は次の「はてなブックマーク」を発見した。
http://b.hatena.ne.jp/thesecret3/20141220#bookmark-236355940
 (以下、引用)
 >知らない誰かがどこかの研究室で多少の事実誤認や不正があったからといって、なんだっていうんだろう
 >成果の出ない研究なんていくらでもあるのに税金言うのもおかしい

 読み終えた私は、穏健派の罵倒芸の論者達に勝つ方法を思いついた。以下にメモしておく。
 ・まずは、罵倒芸のブログを作る。次に、「事実を誤認した罵倒芸の記事」と「不正な罵倒芸の記事」を複数作成し、片っ端からアップする。

 ・すると、穏健派の罵倒芸の論者達が現れて次のように述べてくる。
 「ブログ上で罵倒芸を披露することはかまわない」
 「しかしながら、事実を誤認した罵倒芸の記事や不正な罵倒芸の記事をネット上という公けの場に披露することはよろしくない。記事の修正を行ってもらいたい」

 ・それを拝聴した上で、次のように反論する。
 「この私が『事実を誤認した罵倒芸の記事』と『不正な罵倒芸の記事』をネット上に公開したからといって、なんだというのだろうか?」
 「言っておくが、あなた方と私は何の面識もない間柄である」
 「しかも私は、ネットの片隅で地味に活動している一介の泡沫ブロガーにすぎない」
 「ところで、何らの成果をもたらさない罵倒芸の記事を披露しているブログは、ネット上に幾らでも存在している」
 「これらの事を踏まえると、私がブログ上に公開した『事実を誤認した罵倒芸の記事』と『不正な罵倒芸の記事』に対して、あなた方が訂正を求めるとは何かがおかしいとは思わないだろうか?」

 ・それを聞いた穏健派の罵倒芸の論者達は、納得する。
 「なるほど。『何らの成果をもたらさない罵倒芸のブログはネット上に幾らでも存在している』という部分の主張は意味が今ひとつ分からず、『だから何?』という思いになったが、なんとなく全体的には説得力を感じたので、我々は引き下がるとしよう」

 ・これで騒動が収まった。その後は、「事実を誤認した罵倒芸の記事」と「不正な罵倒芸の記事」をブログ上でひたすら公開し続けるという余生を送ることになる。

 これは良い方法を思いついた。読者の皆様も、科学的に間違った主張をネット上に公開した後でニセ科学批判者達からツッコミをもらった際は、次のように反論してあげよう。
 「あなた方と私は、面識がない他人である」
 「この私は、ネットの片隅で地味に活動している無名の論者である」
 「何らの成果をもたらさない主張を行う論者は、ネット上に幾らでも存在する」
 「よって、この私がネット上に公開した科学的に間違った主張に対して、あなた方がツッコミを入れることは全くの的外れな行為と言える」
 このような感じで反論すると、勝ったことになる。

 なお、「そのような反論を述べることは、ちょっと無理です」と思った御方は次のように述べても良い。
 「なんで私の科学的な間違いにツッコミを入れるねん? 科学的に間違った主張をネット上に公開する人なんて他にも大勢いるやん、ゆえに私の科学的な間違いにツッコミを入れたらあきませんやん!」
 このような反論の仕方でも、勝ったことになる。 

 thesecret3氏による今回の「はてなブックマーク」の御意見は、大いに参考になった。また一歩、常勝の論者への道に近づくことができた私であった。
 以上、「thesecret3氏のコメントから思いついた穏健派の罵倒芸の論者達に勝つ方法」であった。

2014年12月20日

『できの悪い罵倒芸を、穏健派の罵倒芸の論者たちに認めさせる方法』

 ある日、私は「不倒城」というブログで次の記事を発見した。
 『JASRACがあまりにも藁人形にされ過ぎているように見えたので、ちゃんとした議論の為にちょっと緩和を試みてみる

 「なるほど。JASRACのことをよく知らないで批判的なコメントを述べていると、逆に自分のほうがツッコミどころを提供している状態になる場合もあるという事か」と思いつつ読み終えた私は、続いてこの記事に関する批判的な「はてなブックマーク」を発見した。(2016年7月20日の追記:現在は、閲覧できなくなっているようです)
http://b.hatena.ne.jp/kumonopanya/20141210#bookmark-235658758
 (以下、引用)
 kumonopanya氏
 >このアホは一つを例にあげてこれは許されるのだから全体も許されろとか言っている。/このアホは農家が野菜をつくるのと音楽を作るのでは数万倍も報酬に差をつけるべきだとでも思ってんのか?

 この御意見を読み終えた私は、「出来の悪い罵倒芸を穏健派の罵倒芸の論者たちに認めさせる方法」を思いついた。以下にメモしておく。

 ・まずは、罵倒芸のブログを作る。

 ・次に、隙だらけで出来の悪い罵倒芸の記事を複数作成し、片っ端からアップする。

 ・すると、穏健派の罵倒芸の論者たちが現れて次のように述べてくる。
 「ブログ上で罵倒芸を披露することは、結構なことである」
 「しかしながら、推敲した跡がかけらも無いような罵倒芸の記事を公開することは、よろしくないことである。今一度の校正を勧める」

 ・そのお言葉を拝聴した上で、次のように反論する。
 「私が今日までに披露した罵倒芸の記事群は、仕上がりが一部だけ悪かったにすぎない。それにもかかわらず、私の罵倒芸の活動を全否定するとは何事か」
 「頭ごなしの全否定など行わず、私の至らなかった部分のみを取り上げて批判なりアドバイスなりを行うべきであろう」

 ・すると、穏健派の罵倒芸の論者たちが次のように述べてくる。
 「いや、我々はあなたがブログ上で罵倒芸を披露すること自体には反対していない」
 「ただ、あなたの罵倒芸の記事は出来が悪すぎて支持者を増やすどころかアンチを喜ばせるだけなので、もっと隙のない記事に仕上げたのちに披露すれば良かろうと申し上げているのだ」

 ・そのお言葉を拝聴した上で、再反論する。
 「先ほど私が述べた反論は、実際に私が感じたところを素直に述べたものである」
 「つい先ほどの私は、『罵倒芸の活動を全否定された』と感じたのである。これは、紛れもない事実である。よって、この事実にあなた方が文句を言うことは的外れである」

 ・それを聞いた穏健派の罵倒芸の論者たちは、納得する。「なるほど。あなたが罵倒芸の活動を全否定されたと感じたことは、確かに事実なのだろう。これは失礼した。申し訳ない」

 ・これで騒動が収まった。その後は、余生が尽きるまで出来の悪い罵倒芸をブログ上で呈し放題となる。

 これは良い方法を思いついた。
 読者の皆様も、ニセ科学批判者たちから科学的な間違いを指摘された際には、「私の言論活動を全て否定するとは何事か」と言ってあげよう。

 この言葉をアレンジして、「私の人格を全て否定するとは何事か」と言っても良いし、「私の人生を全て否定するとは何事か」と言ってあげても良い。とにかく勝ったことになる。

 その後、ニセ科学批判者たちは、「全否定などしていません。あなたの主張の一部分に見られる科学的な間違いについて、私たちは言及しただけです」と反論してくるだろう。

 そのときは、「私は全てを否定されたと感じた。これは事実だ。よって、この事実に文句を言うことは的外れだ」と返してあげよう。再び勝ったことになる。

 このように、このスタンスを基本としてネット上の議論に臨めば、どんなに形勢が不利な状況であっても即座のニ連勝を収めて皆を驚愕させることが可能なのである。

 kumonopanya氏による今回の「はてなブックマーク」の御意見は、常勝の論者への道に近づくことを探求している私にとって大いに参考になった。
 以上、「出来の悪い罵倒芸を穏健派の罵倒芸の論者たちに認めさせる方法」であった。
 (追記)
 kumonopanya氏の「はてなブックマーク」で最近の御意見(2014年12月付近)をちらほらと眺めていると、次のような言葉が幾らか多く使用されている印象を持った。「多様性」「アンチ」「思考停止」「クズ」「アホ」
 (2016年7月20日の追記:現在は、閲覧できなくなっているようです)

 どうやらkumonopanya氏は、次のような御考えを持っていらっしゃるようだ。
 「相手の意見が自分と異なるからといって、頭ごなしに否定してかかることは如何なものだろうか?」
 「世の中は、色んな考え方を持つ人々が存在しているのだ」
 「当然ながら、ネット上の意見にも多様性が出てくるのだ」
 「そう、自分と意見が異なるからといって相手の意見を頭ごなしに否定してかかる態度は、多様性を認めない視野の狭い者が見せる態度であり、思考が停止している者が見せる態度なのである」

 このようなお考えを本当にkumonopanya氏が持っているか否かは私に判断できないが、この推測が仮に当たっているならば大いに参考になるスタンスである。

 とにもかくにも、「相手の意見は間違っている。なぜならば、この私の意見こそが絶対に正しいからだ。よって、相手の意見は間違っている」という思いが強すぎると、意見の多様性を認めない思考停止のブロガーになってしまうらしいので、今後は気をつけておきたい。

2014年12月17日

ザウエル氏に向かってアンフェアだと言った御方のスタンスから常勝のニセ科学批判批判を学び取る

 ある日、私は「ザウエリズム 【Zawerhythm】」というブログを発見し、次の記事を読んだ。
 「トンデモ医療とか患者さん中心の医療とか

 なるほどと思って記事を読んでいると、コメント欄に「あっくん」氏が登場して自論を述べておられた。
 それを見た私は、常勝のニセ科学批判批判への道に近づく方法を思いついた。以下にメモしておく。

 ・初めに、「私は近藤誠氏の支持者でも何でもない、第三者で匿名の傍観者だが」と述べておき、「匿名の医師が実名の医師を批判することはアンフェアだから駄目である」と述べると、勝ったことになる

 ・初めに、「私は最近の近藤誠氏がどれほど変なことを主張しているのか全く知らないが」と述べておき、「あなたの批判は近藤誠氏の主張に対して厳しすぎるので駄目である」と述べると、勝ったことになる

 ・初めに、「そのような厳しい言葉で近藤誠氏の主張を批判することは良いのだが」と述べておき、「近藤誠氏に対する陰口をネット上で公開するとは何事か? ネット上に陰口を公開することは見苦しい行為である。以後、近藤誠氏に対する陰口をネット上に公開して世界中の人々が自由に読めてしまうような状態に置くことはやめておきたまえ」と述べると、勝ったことになる

 とりあえず、次のような思考を基本にすると良さそうだ。
 「実名の医師の主張を匿名の医師が批判することは、アンフェアな行為だから許されない」
 「そういう私も匿名だが、医師ではない」
 「よって、匿名の私が匿名の医師を批判することは、全くのフェアな行為と言える」

 読者の皆様も、匿名で活動しているニセ科学批判者達が、
 「匿名云々の話など重要ではない。主張の中身こそが重要なのだ。たとえ匿名であっても、ハンドルやペンネームを固定し、科学的に妥当なことを長きにわたって言い続けるならば、ネット上で確固たる信用を築くことが可能なのだ」
 と主張しているところを目撃した際は、
 「私は第三者で中立で匿名の傍観者だが」
 と名乗り出て、
 「あなた方が何を批判しているのか私は詳しく知らないが、それはともかく、実名を明らかにしているニセ科学推進者の主張に対して、あなた方のような匿名のニセ科学批判者達が批判的に言及することは、アンフェアだから駄目である。どうしても批判したいのならば、実名を明らかにしてから批判活動を行うべきである」
 と言ってあげよう。勝ったことになる。

 その後、ニセ科学批判者達から、「いや、あなたも匿名ですやん? あなたも匿名の立場で私達を批判してますやん?」と言われた際は、「確かに私は匿名だが、ニセ科学批判者ではない。よって、私の匿名性を批判することは的外れである」と返してあげよう。再び勝ったことになる。

 このように、あっという間にニ連勝を収めることが可能なスタンスなのである。
 「あっくん」氏の正体が誰なのか知るよしもないが、かなりのつわものと思われる。どのようにツッコミを入れられても自分の勝利が導かれるというスタンスは、大いに参考になった。

 以上、「ザウエル氏に向かってアンフェアだと言った御方のスタンスから常勝のニセ科学批判批判を学び取る」であった。

2014年12月14日

nishida3336氏の「義憤?ヒマつぶし?ケッケッケ(嘲)」というコメントを読んだ私は、「常勝のニセ科学批判批判への道」に思いを巡らせた

 次の記事を読みました。
 『自然栽培が宗教化する理由 〜奇跡のりんごをめぐる農業とその周辺の考察〜 - Togetterまとめ

以下、コメント欄から気になった発言を引用します。
 >nishida3336氏
 >いやあお前らほんと、ニセ科学の直接の信者たちよりもニセ科学好きなんじゃない?義憤?ヒマつぶし?ケッケッケ!(嘲)


 nishida3336氏に限らず、ニセ科学的な言説の拡がりに憂慮する人々が集まってネット上で議論していると、第三者で傍観者で中立を名乗る人物が現れて、次のような感じのコメントを発表することがあります。

 「はっはっは。噂には聞いていましたが、ニセ科学批判の皆さんって、本当にニセ科学のことばかり取り上げて語っているんですね(笑)」
 「ニセ科学の怪しさを一般大衆に知って欲しいという思いで議論しているのか、それとも単に暇つぶしを行っているに過ぎないのか、傍観者の私には事情がさっぱり分かりませんけれどもね(笑)」

 「もしや、皆さんこそがニセ科学の魔力に取り憑かれたビリーバーではありませんかな?(笑)」
 「いや、ほんの冗談ですよ(笑)」

 「あくまでも、皆さんの議論を遠くから傍観していた私の個人的な印象論ですからね(笑)」

 「そうは言ったものの、私の冗談に対して真剣に反論してくる皆さんの姿を見ると、私は痛いところを突いてしまったようです(笑)」
 「なんだ、やはり単なる暇つぶしに過ぎなかったんですね、皆さんの議論は(笑)」

 「ちょっと傍観しただけで本質を炙り出してしまうなんて、私は自分の鋭さに慄きます(笑)」
 「というわけで、はからずも慧眼を見せてしまった私の勝利が確定しました(笑)」
 「それでは、賢い傍観者の私に負けた暇つぶしの皆さん、さようなら(笑)」
 「なにしろ、私の貴重なリソースをこれ以上は無駄に消費したくありませんので(笑)」

 ……さて、このような感じのコメントを寄せてくる傍観者の動機は、どこにあるのでしょうか?
 単なる暇つぶしでしょうか? それとも、
 「世のニセ科学批判者たちは、そろいもそろって重大なポイントを見逃している。この私が明らかにしてあげねばなるまい」
 という、義憤のような気持ちが高じたゆえでしょうか?
 残念ながら、これについて今の私に深く考える暇がありません。

 しかながら、ニセ科学を憂慮している議論の場に「いやあ皆さん暇そうですねえ」と言いながら現れる暇そうな傍観者の立ち位置には、「常勝のニセ科学批判批判への道」に近づくヒントがあるように思われます。

 時間の暇ができた未来に、改めて「nishida3336氏がtogetterに寄せた暇そうなコメント」に思索を巡らせる次第です。