2015年01月31日

ネタ話『ニセ科学などあっという間に撲滅できると主張したブロガー』

 そのニセ科学批判批判者であるAさんは、自分のブログで次のように主張しました。
 「ニセ科学問題など、なんら憂慮する必要はない」
 「たかがニセ科学である。社会に対する影響など知れたものである。蔓延だ何だと大騒ぎするほうがおかしいのである」

 「科学リテラシーの低い者達が踊らされているようだな……という感じで遠くから眺めておれば良いのである」
 「ニセ科学推進者達がインチキビジネスの拡大を図っていようが何だろうが、我れ関せずという態度を貫けば良いのである」
 「それが賢い市民の在り方である」

 「そういうわけだから、『ニセ科学は社会のリソースを無駄にしているのでダメだ』などと言ってはいけない」
 「そして、『マイナスイオンドライヤーは余計な機構が付いている分だけ値段が割高だ』などと言ってはいけない」

 「ましてや、水からの伝言を批判する際に、『道徳というものは人間関係の問題であるからして、単なる物質である水の結晶の出来具合から人間の道徳をあれこれ決定するとは何事かっ』などとは、絶対に言ってはいけないのである」

 「ちなみに私の場合、目の前に怪しい商品を突きつけられても、『それはニセ科学的な商品だから買わぬ』という感じで即座に見抜くことが出来るし、即座に断ることが出来る」

 「この私と同じ態度を世の全ての消費者達が実行することにより、あっという間に社会からニセ科学的な商品が消えて無くなる。あっという間にニセ科学の撲滅が達成できる。実に簡単な話だ」

 「以上で私の主張を終えるとする」
 「この私の論に欠落している視点があるというのならば、指摘してくれたまえ」

 その後、Aさんのブログはネットモヒカン族から徹底した修正をもらって閉鎖に追い込まれました。(完)

 (この記事は、次のツイートと「はてなブックマーク」にインスピレーションして作りました)
https://twitter.com/packraty/status/557213627552264192
 >packraty氏
 >ニセ科学って、マイナスイオンは出ないとか、ドライヤーから出てなくても、髪が乾かせればどうでもいいし、水が字が読めなくても、メルヘンだと笑えばいいだけで、化粧品が効き目がなくても、ダイエット食品で痩せなくても、買わなきゃいいのだし

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/packraty/status/557213627552264192
 >ublftbo氏
 >癌は放置しろとか、砂糖玉で何でも治るとか、ワクチンは危険だから射つなとか、輸血をしてはならない、といったニセ科学もあるんだけど

2015年01月24日

ネタのお言葉『disの寵辱(ちょうじょく)に驚くがごとし』

 「disの寵辱(ちょうじょく)に驚くがごとし」とは、あの「老子」の表紙に書かれている言葉である。
 世間の評判に一喜一憂することなく、自分の罵倒芸を貫くことが大切だという意味である。

 解説:ある日にブログ上でdisの記事を披露すると、読者達から「できの良いdisだ」という声が上がる。
 それを聞いた罵倒芸ブロガーは、次のように喜ぶ。「物事を分かっている市民達だ。感心、感心」

 翌日にブログ上で新たなdisの記事を披露すると、読者達から「雑なdisだ」という声が上がる。
 それを聞いた罵倒芸ブロガーは、次のように嘆く。「まったく最近の市民達はレベルが低すぎる。誤読ゆえの的外れなコメントばかり寄越して始末が悪い」

 こうして褒め称えられたり炎上したりの日々を過ごすうちに、罵倒芸ブロガーは消耗して疲れ果てる。
 「ああ、こんなに浮き沈みの激しい評価をもらう日々が続くのであれば……礼儀を重視する芸風に転向して泡沫過疎ブロガーになったほうがましだ!」
 そのように叫んだ後、罵倒芸ブログを閉鎖する。

 およそ、世間の評判に一喜一憂する罵倒芸ブロガーは大成せず、道半ばでネット上から消え去ってしまうものである。
 だからといって、読者からdisの記事を褒められた際に、「まだまだ未熟な罵倒芸のブロガーです」などと謙遜してはいけない。

 また、読者からdisの記事を批判された際に、「諫言をありがとうございます。おかげさまで罵倒芸の視野が広くなりました」などと頭を下げてはいけない。
 これは罵倒芸の道から外れた態度であり、真のdisに辿り着くことを放棄した態度である。

 「礼儀を重視するブロガーに転身したいですorz」と弱気になったり、「ネットマナーを説教するだけの地味な日々を過ごしたいですorz」と弱気を見せる前に、「自分のdisは自分のdisだ」と心の中に揺るぎない一本の柱を作ることだ。

 賞賛の声を気にせず、不評の声を気にせず、思うところのdisを淡々と綴ることだ。
 その態度を身につけた罵倒芸の論者は、また強固な罵倒芸ブログの運営を保つことができるのだ。

 このように老子は主張していたのである。

2015年01月18日

sivad氏のツイートから思いついた「うわあ……」という言葉でニセ科学批判者達に勝つ方法

 ある日、私は次のツイートを発見した。
https://twitter.com/sivad/status/554113249067544577
 (以下、引用)
 sivad氏
 >うわぁ…

 なるほど、その時のsivad氏は「うわあ…」と思ったのだなという感想を懐きつつ、次の「はてなブックマーク」を読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/sivad/status/554113249067544577
 (以下、引用)
 NATROM氏
 >「うわぁ」とか「うへぇ」とかいう言葉だけつけて具体的な反論がないのか、具体的な反論ができないからだろうか

 これを読み終えた私は、「うわあ……」という言葉でニセ科学批判者に勝つ方法を思いついた。以下にメモしておく。

 ・まずは、ニセ科学批判的な記事を読む。
 ・そして、次のような言葉を発する。「うわあ……」「うへえ……」「うぼあ……」「うれえろお……」

 ・すると、ニセ科学批判者達が現れて次のように述べてくる。
 「具体的な反論がないようだが、次のような理由によるものだろうか?」
 『正面からはマトモに反論できないが、それとなく溜息をつくことで相手の主張こそが間違っているのだと読者達に印象付ける作戦を思いつき、それを実行した』

 「または、次のような理由があるのだろうか?」
 『とっくに具体的な反論は用意できている。しかしながら、今は発表する段階ではないと考えている。よって具体的な反論は一切述べず、ただ仄めかすのみである』

 「どちらにしても、結果的に無意味なコメントになっていることには違いがない」
 「今からでも具体的な反論を述べて有意義な議論の形成を目指せばよろしかろうと思われるが、いかがだろうか?」

 ・それを拝聴した上で、次のように述べる。
 「先ほどの私は、自分の心に生じた言葉をそのままネット上に表したのである。これは事実である。この事実に文句を言うことは、誤りである」
 「しかも私は、『うわあ…』『うへえ……』『うぼあ……』『うれえろお……』という中立的な言葉を述べたにすぎない」
 「この中立的な言葉を、『ニセ科学批判的な記事に対する反論の言葉に違いない』と決めつけることは誤りである」
 「性急な決めつけは避けて、『反論を意図した言葉かもしれないし、反論を意図した言葉ではないのかもしれない。たとえば、隙のない正論を目撃して深く感じ入ったゆえの、賛嘆の言葉かもしれない』という感じで多角的に受け止めるべきである」

 「このようにして諸君は、二重に的外れなツッコミを私に送ってしまったのである」
 「それもこれも、『とにかく目の前の議論に勝ちたい!』という気持ちが強すぎたり、『とにかく勝っている自分を演出したい!』という気持ちが強すぎたことが原因である」
 「そのような諸君の虚栄心から生まれた的外れなツッコミに私は大きな迷惑を感じるが、哀れといえば哀れな姿である」

 このように述べると、勝ったことになる。

 なお、「うわあ……」「うへえ……」「うぼあ……」「うれえろお……」という言葉を使用して議論の勝ちを目指すことに戸惑いを覚える御方は、自分なりに使いやすい言葉に変えても良い。
 たとえば、筋力トレーニングに嵌っている御方の場合、「あーむかーる……」「くらんち……」「でっどりふと……」という言葉を使用して議論の勝ちを目指しても良いし、「ぎゃばっ」「へむてつっ」「ぶろっこ、りっ?」という言葉で議論の勝ちを目指しても良い。

 この例に限らず、各々が自分なりの「うわあ……」な言葉で議論の勝ちを収めよう。
 以上、「sivad氏のツイートから思いついた『うわあ……』という言葉でニセ科学批判者達に勝つ方法」であった。

2015年01月14日

renho39氏のツイートから「それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判」を思いつく

 ある日、私は次のツイートを発見した。
https://twitter.com/renho39/status/553844947074310144
 (以下、引用)
 renho39氏
 >パイロゲンとかπウォーターってなんでニセ科学叩きの標的にされてないんだろう?
 >ってお寿司屋さんのレジ前に置いてあるパイロゲンを見て思った

 「なるほど、それを批判するニセ科学批判者は今まで存在していなかったのか」と思いつつ、これに関する「はてなブックマーク」を読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/renho39/status/553844947074310144
 (以下、引用)
 ublftbo氏
 >πウォーターなんてだいぶ前から採り上げられてるのにね(天羽さんが採り上げたのはもちろん、左巻さんの本にもある)
 >自分の見た範囲を世界だと思っちゃいけないですね

 これを読み終えた私は、必ず勝利を収めるニセ科学批判批判の仕方を思いついた。以下にメモしておく。

 ・まずは、「私は○○というニセ科学的なものを某所で見かけたことがある。そして私は、この○○を取り上げて批判するニセ科学批判者を知らない」と述べる。

 ・次に、「よって、世の全てのニセ科学批判者達は○○を取り上げて批判したことがないと言える」と述べる。

 ・その後、「その○○を批判するニセ科学批判者は、少なくとも一人以上は居るようです。ちょっとネットで調べたら、○○を批判している御方の記事を見つけることが出来ました」という読者が現れる。

 ・それを拝聴した上で、「その程度の批判の量では全く不足だと私は主張していたのである」と述べる。

 ・続けて、「しかもこの私が、○○を取り上げて批判するニセ科学批判者を知らなかったことは事実である。この事実に向かって文句を言うことは、全くの的外れである」と述べる。

 ・そして最後に、「というわけで今から世のニセ科学批判者達は、この私が不足ではないと判断する量に達するまでの批判を行ってくれたまえ」と言ってあげる。

 こうして勝利を収めることができた。

 読者の皆様も、「ところで○○は明らかにニセ科学的な代物なんだけれど、この○○を取り上げて批判するニセ科学批判者の姿って見ないよね。なぜにニセ科学批判者達は、○○を批判しようとしないんだろうね?」と述べる論者をネット上で目撃した際は、「それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判を開始したようだ」と思いつつ眺めてあげよう。

 しばらくすると、次のような感じで勝利宣言する論者の姿を見ることが出来る。
 「私の発言に対してドヤ顔でツッコミを入れる読者が現れたんだけれど、私が言っていた事はそういう意味じゃないんだけれどね」
 「まあ、目の前に表示されている文章にしか注意を向けない読者に私の真意を正確に汲み取る事は無理だろうから、的外れなツッコミを送ってきたことも分かるんだけれどね」
 「そうやって性急なツッコミを入れる前に、批判対象について詳しく知ろうとする努力を行って欲しかったかな」

 以上、「renho39氏のツイートから『それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判』を思いつく」であった。

yunishio氏のツイートを読み終えた後で「視野の広い読者に成るためには」と思いを巡らせる

 ある日、私はyunishio氏がネット上に公開した次のツイートを発見した。
https://twitter.com/yunishio/status/553875740593102849
 (以下、引用)
 >どのような病気でも、症状だけ見れば、気の持ちようで症状は軽くなることがある
 >それをもって病気の原因を心因性と判断することはできないんよね
 >てか、医師が心因性というとき、それは「原因分からんからサジ投げた」という程度の意味しかないよ


 なるほどである。どうやらyunishio氏は、『あなたの病気は気の持ちようで症状が軽くなることがあります。よって、あなたの病気は心因性で決まりです』と言ってサジを投げた医者に出会ったことがあるらしい。

 そのような医者に診てもらうことは私も避けたいものだと思いつつ、関連する「はてなブックマーク」を読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/yunishio/status/553875740593102849
 (以下、ublftbo氏のコメントより引用)
 >これまでの話をろくに把握していない模様(NATROMさんの主張も全然分かっていないようで)


 これもまた、なるほどである。今回のyunishio氏のツイートがNATROMさんの主張に反論しているツイートとして捉えるならば、私の感想も次のように変わってくる。
 「yunishioさん……。化学物質過敏症に関するNATROMさんの主張を、捉え損なってますやん……」
 「NATROMさんの主張に反論するにしても、NATROMさんが何を主張して何を主張していないのか、それを踏まえた上で反論しないと駄目ですやん……」
 「このままの調子を続けていると、yunishioさんの発言の信頼性に対する疑問符が、どんどん大きくなっていくばかりですやん!」

 しかしながら、なにか別の深い思惑があって語っていたという場合もありえる。
 たとえば、「NATROMさんからツッコミを入れてもらうことを目的として、ボケのツイートを披露した」という場合がありえる。
 「yunishioさんにはがっかり」と思って評価を下げてしまうことは早計かもしれない。

 というわけで、今から私は好意的に解釈した感想を述べる。
 「今回のyunishioさんのツイートは、NATROMさんの主張に対応するツイートではない」
 「あくまで一般論として述べているのであり、大枠の形の話をされているのであり、全世界の医者を鑑みながら語っているのであり、特定の医者について語っているわけではない」
 「余計なことを考えず、今回のyunishioさんのツイートの文面を、ありのままで受け止めれば良い」

 「そういうわけだから、『yunishioさんは過去の遣り取りでNATROMさんの主張を把握しているはずだけれど、実はほとんど理解出来ていなかったのかしら?』などと言ってはいけない」

 「そして、『yunishioさんは過去に、医学的なことを踏まえなくても論理的に考えればNATROMさんの主張の間違いが分かると仰っていたが、今回のツイートを見ると、それは適わなかったようだ』などと言ってはいけない」

 「ましてや、『NATROMさんの主張の間違っている部分に光を当てようとしたところ、逆に自分の主張の間違っている部分に光を当ててしまったようだ。ポケモンの技に例えると、ミラーコートを受けたような状態だ』などと言ってはいけないのである」

 このように好意的に解釈すると、先ほどと異なる感想を懐くことができた。 一つのツイートから全く別の感想を引き出すことができたわけであり、自分の視野を広げる結果となった。

 つまり視野の広い読者になるためには、「なぜに、あの論者は的外れな批判を呈しているのであろうか。批判対象に関する理解不足が原因か?」と思った後、
「いや待てよ。そんなはずはない。あの論者のことだ。何か深い考えがあるのかもしれない。ここは一つ、好意的な解釈を行う必要がある」という思いを懐くと良いわけだ。

 そういえば、以前にどこかのサイトで科学記者を名乗る人物が、「科学者は難しい専門用語ばかり述べるから一般大衆が理解できずに乖離して云々」という記事を発表した際に、Togetterで次のような感じのコメントを述べる御方が居た。(名前を忘れてしまった。確か、科学コミュニケーションを仕事としている御方だったと思う)
 「一見すると、『一般大衆と専門家の乖離を埋める仕事は科学記者の仕事でしょ。なぜに他人事のように語っているの』という思いを懐いてしまうが、業界側の立場で好意的に解釈してあげるならば、科学記者としての自戒を表明したにすぎない記事であり、特に不思議な記事ではないと言える」

 当時の私は、「なぜに読者側の我々が、業界側の立場で好意的に解釈してあげねばならないのだろうか? 読者側の我々が業界側の立場で好意的に解釈してあげる場合のメリットは、一体何なのだろうか?」という感じで首を傾げていたのだが、今にして分かったような気がする。

 つまりその御方は、「記事の文面をそのまま読んで批判する人は、やがて融通がきかない視野の狭い読者になってしまう。そこで好意的な解釈も積極的に行えば、視野の広い読者に成長することが可能である」と言いたかったのだろう。

 この推測が正しいか否かはともかく、ありえる事だとは思う。
 というわけで、今回のyunishio氏のツイートに限らず、すんなりと納得できないニセ科学批判批判的ツイートを目撃した際は、
「なんやねん、その主張の仕方は? 疑問が残るだけの主張になってますやんか!」という感想を懐いた後に、
「好意的に解釈してみよう! うむ、正論だ! 疑問は消えた!」という感想が懐けるような視野の広い読者を目指す次第である。

(2015年1月17日の追記)
 うろ覚えだったTogetterを発掘した。
 「非難殺到『あなたの言っていることは、あなた以外の世界では通用しませんよ』はどう解釈するべきなのか? - Togetterまとめ」
http://togetter.com/li/567653

 このTogetterの中で、ayafuruta氏が「あの記事は科学記者の自戒を表した記事だと思う」という感じの御意見を披露している。
https://twitter.com/ayafuruta/status/381668039558578176

 これ以外にもayafuruta氏は複数のツイートを費やして業界側からの視点を披露していらっしゃるのだが、全面的な賛同を表明する人の数は少ないようだ。
 確かに業界側でない人の大半は、次のような感じで疑問を懐くだろう。
 「読む側が善意で解釈しなければ理解に達することが出来ない文面の記事よりも、素直に趣旨を読み取れるような文面の記事のほうが良いと思うのだが、違うのだろうか?」

 とにもかくにもayafuruta氏の御意見は、「一見すると疑問が残る記事であっても、善意で解釈してあげれば疑問が消える」という視点を私に与えてくれた。
 分かりにくい記事を目撃した際は、「なにが言いたいねん?」と思った後で、書いた人の内心を善意で推し量って「そういうことなのだ」と結論して納得すること。
 そうすることで、どんどん視野が広い人間になれるのだ。

 ただし、善意で解釈する態度が行きすぎると、
「あの記事も、その記事も、この記事も疑問ばかりが残る分かりにくい記事のように見えますが、とにかく善意で解釈してあげましょう。一切の疑問が消えて平穏な気持ちになる事が出来ます」というブロガーになり、読者から、
「何も言っていないに等しい。もしや、悪しき相対主義者か?」と疑われて、自分の発言の信頼性が下がる可能性がある。

 というわけで、「なるほど、あなたの読み解き方は一理ある。……って、そんなわけないでしょっ」という感じで一旦受け取ってもらえるような善意の解釈を心掛けたい。

 【関連記事】
 yunishioさんのツイートから「常勝の論者に成る方法」を学び取る

 yunishioさんとNATROMさんのやり取りから思いついた、「ニセ科学批判者に次々と質問して不利だった議論をイーブンに持ち込む方法」

 yunishioさんとharusora30さんのコメントから思いついた、「言葉の意味を間違い続けてニセ科学批判者たちから総ツッコミをもらう方法」

 ネタのお言葉『disの実存的危機』

2015年01月11日

juangotoh氏のツイートから思いついた、「世のニセ科学批判者たちから総ツッコミをもらう方法」

 ある日、私はjuangotoh氏によって公開された次のツイートを読んだ。
https://twitter.com/juangotoh/status/552045053049184257
 (以下、引用)
  
>オカルトやニセ科学を叩く人たちって、子供の頃うしろの百太郎や矢追純一UFOスペシャルにすっかり騙された恨みがあるんじゃね?僕にはあるぞw


 このjuangotoh氏のツイートに関する「はてなブックマーク」を見ると、今のところ全面的な賛同を表明している人の数は少ないようだ。
 はてなブックマーク - 後藤寿庵さんはTwitterを使っています オカルトやニセ科学を叩く人たちって、子供の頃うしろの百太郎や矢追純一UFOスペシャルにすっかり騙された恨みがあるんじゃね?僕にはあるぞw

 juangotoh氏のツイートに全面的な賛同を表明する人が少ないように見えることも、それほど不思議なことではない。

 これがjuangotoh氏ではない他の誰かの主張であっても、「いいえ、私は違います」というニセ科学批判者が必ず一人以上は現れるのである。
 「これこれの恨みが私にある。ニセ科学に批判的な人たちも、私と同じこれこれという恨みがあるのではなかろうか」
 という感じで述べた際に、ニセ科学批判者たちの全員から、
 「はい、私はあなたの恨みと同じ恨みがあります」という返事が来るケースなど滅多にないのだ。

 ただし、juangotoh氏のご意見を応用して、「私には、これこれという恨みがある。よって世のニセ科学批判者たちも、私と同じこれこれという恨みを懐いている」
 というボケの記事を作成するならば、どのような泡沫過疎ブロガーであっても確実にニセ科学批判者たちから総ツッコミをもらって賑わうことができると思われる。

 たとえば次のようなボケの記事を作ると良いだろう。
 『ボケの記事、その1』
 「この私は、コンノケンイチ氏のUFO本にすっかり騙されていた過去があり、このことを恨みに思っている」
 「よって、世の全てのニセ科学批判者たちは、コンノケンイチ氏のUFO本に騙されていた過去があり、このことを恨みに思っており、それを動機としてニセ科学批判活動を行っている」

 『ボケの記事、その2』
 「この私は、南堂久史氏による独自の量子力学の解釈にすっかり騙されていた数年前のことを、恨みに思っている」
 「よって、世の全てのニセ科学批判者たちは、南堂久史氏による独自の量子力学の解釈にすっかり騙されていた数年前のことを恨みに思っており、それを動機としてニセ科学批判活動を行っている」

 『ボケの記事、その3』
 「この私は、ニャントロ星人とエルバッキーは密接な関係があると思っていたが、実はそうでもなかったことを今日になって知ったので、恨みに思っている」
 「よって、世の全てのニセ科学批判者たちは、ニャントロ星人とエルバッキーは密接な関係があると思っていたが、実はそうでもなかったことを今日になって知って恨みに思い、それを動機としてニセ科学批判活動を行っている」

 『ボケの記事、その4』
 「この私は、コンプガチャと太郎冠者をごっちゃにして覚えていたことを恨みに思っている」
 「よって、世の全てのニセ科学批判者たちは、コンプガチャと太郎冠者をごっちゃにして覚えていたことを恨んでニセ科学を批判しているのだ」

 このような感じでブログの記事を作るならば、ニセ科学批判の活動についてよく知らないブロガーであっても、どんどん記事を量産できるわけだ。

 その量産された記事の一つ一つに対してニセ科学批判者たちから総ツッコミが寄せられるために、あっという間に泡沫過疎ブロガーからアルファブロガーに変われるわけだ。

 これは良い方法を知った。読者の皆様も、自身のブログを運営している際に、「この辺で一つ、ニセ科学批判者たちから総ツッコミをもらう必要がある」と思ったときは、このボケ方を選択肢の一つに入れておこう。
ラベル:一石二鳥