2015年12月30日

技のネタ『ニセ科学的ポットホール』

 「ニセ科学的ポットホール」とは、ある罵倒芸の隠者が「ポットホール(甌穴)」をヒントにして開発している技である。

 完成の暁には、「科学的に間違っている主張を何万回も述べて、ニセ科学批判者たちの主張に少しずつ穴を開けていく」という効果を発揮する。

 実際のネット上の議論を幾つか眺めていると、「とっくの昔に論破されているニセ科学的な主張にもかかわらず、今日もまた何事もなかったかのように普通に主張してドヤ顔で締めくくる」という芸風の論者の姿を目撃することがある。

 それを見たニセ科学批判者たちは、「壊れかけのテープレコーダーか」と呆れて去るわけだが、そうでもない人は、「確かに荒唐無稽な主張だが、そういう主張こそ真実だったりする」と判断して支持者となる。

 しばらく時が経った頃、支持者の数が信じられないくらいに増えていたりする。
 多くの人が、科学的にデタラメな主張を繰り返し行っていた論者を「頼れる賢者だ」と認識している。多くの人が、科学的にデタラメな説を「本物の科学だ」と認識している。

 科学的にデタラメな主張が社会の常識となっている。科学的にデタラメな主張を取り入れたインフラが、国の隅々に整備されている。

 科学的にデタラメな主張で作られた宇宙船が旅立つ。
 「惑星モンダスを目指すぞー」
 「不老不死の体を手に入れるぞー」
 「おや、間違ってバッツーラの星に着いたようだ?」
 「まあ良い。おそらくモンダスと似たような星だろうから」
 「さて、どんな歓待を受けるかな? ワクワク」

 それを見たニセ科学批判者たちは、
 「しまった、あの時にもっとツッコミを入れて、あの論者の主張のニセ科学性を一般市民達に広く知らしめておくべきだった」と後悔し、
 急いで対抗言論を掲げて啓蒙に努めるも、一般大衆はノーリアクションで答え、
 それを確認したニセ科学批判者たちは、
 「ああ、もはや我々のニセ科学批判活動は焼け石に水なのだ」と悲観し、一斉に引退を表明してネットの果てにある竹林に身を隠すことになる。

 この場合、隠棲したニセ科学批判者たちは「ニセ科学的ポットホール」に近い技を受けた可能性が高いのだという。

2015年12月27日

ネタ話『最後に頼られたニセ科学批判批判者達』

 その昔、ある村に遊説家が現れて言いました。「この村に住むニセ科学批判者達の、『ニセ科学が蔓延すると健全な社会が失われる』という主張は幻想である」
 「偉そうに語るニセ科学批判者達こそ、鬱陶しい存在である」
 「偽善を振りかざすニセ科学批判者達は、今すぐに追放するべきである」
 「それにより、諸君は永遠の平穏を享受することができる」「以上で、私の説教を終えるとする」

 「なお、私の意見を取り入れるか否かは、諸君次第である」
 「私の意見を取り入れて行動して何かしら駄目なことが起きた場合の責任については、諸君が全面的に負うものとする」
 「なにしろ私は、『こういう考え方もあるんだよね〜』という感じで自分の思いを諸君の前で少し言ってみただけの立場だったりする」
 「それでは、灰さようなら」

 遊説家の後ろ姿を見送った村人達は、感想を述べました。「なるほど。確かに、ニセ科学批判者達など居ないほうが静かな生活を送れる」
 さっそく村人達は会議を開いて、ニセ科学批判者達を一斉に追放することを決定しました。「幻想の主張で我々の思考を散々に惑わせたニセ科学批判者達は、夢幻郷に行ってカンナの花言葉でも暗唱していろ」

 それからしばらく経った後、村に疫病が発生しました。駄洒落を述べて倒れ込むという、ちょっと不思議な疫病でした。
 「麦チョコとバギムーチョ、バッカルコーンと麦稈真田、ライ麦畑で捕まえてと無いものねだりで疲れ果て、北斎の夏野原と北斗の拳のなにをぱら、ひゃっはっは、お後が決まったあ! ……バタン」

 困った村人達は、水の結晶に罵声を浴びせました。「疫病のバカヤロウ! ……どうだ?」
 しかしながら、駄洒落の疫病は治まりませんでした。

 次に村人達は、ホメオパシーを実践しました。「疫病よ、一分子も残らず消えてしまえ! ……これでどうだ?」
 しかしながら、駄洒落の疫病は治まりませんでした。

 次に村人達は、高価な波動製品を購入しました。「値段が数十万円もする割りに中身はスッカスカの製品だが、とにかく効果はあるはずだ」
 村人達は、呪文を唱えながらスイッチを入れました。「我が波動の製品よ、オーラを呼べ、キルリアン写真を呼べ、宇宙の重力波を疫病に降らせよ。えい! ……今度こそどうだ?」
 しかしながら、駄洒落の疫病は治まりませんでした。

 追い込まれた村人達は、最後の頼みとしてニセ科学批判批判者達を呼び寄せました。
 集まったニセ科学批判批判者達は、さっそく議論を始めました。「人を騙すことは悪いことか?」「自分にウソをつくとは、どういう意味だ?」「うむ。まずは、そこから考えよう」

 村人達は、結論が出るまで待ちました。その間、駄洒落を述べて倒れる人の数は増え続けました。
 まもなく村は衰退して歴史から消えました。ニセ科学批判批判者達は、よその安泰な村に移って今も議論を続けているとのことです。
 以上、『最後に頼られたニセ科学批判批判者達』というお話でした。

 『教訓:この話は、ニセ科学批判批判者が居る場所はニセ科学批判者が居る場所よりも比較的平和な場所であるということを教えています』

2015年12月20日

ネタ話『宇宙一酸っぱい葡萄を頬張った後で勝利を確信した者』

 ある村の外れに一本の木がありました。村人達は、その木を「宇宙一酸っぱい葡萄がなる木」と呼んでいました。

 その噂を聞きつけた逆張り芸の論者であるAさんは、さっそく村を訪れて演説しました。
 「諸君は、宇宙一酸っぱい葡萄だと主張しているが、事実は逆であり、宇宙一甘い葡萄である。それを私が今から証明する」

 Aさんは、「宇宙一酸っぱい葡萄がなる木」から葡萄の房をもぎ取って頬張りました。
 しばらく悶絶した後、Aさんは言いました。「グホッ、このとおり、私は食べきった」
 「よって、諸君の主張は間違いであり、宇宙一甘い葡萄だと結論できる」
 「違うというのならば、なにがどう違うのか指摘してくれたまえ」

 村人達は、ライオンキング風の言葉で感想を述べました。「こんなに近くで逆張り芸を見たのは、初めてだ!」

 それを見たAさんは、「反論する者が一人も現れない。この私が具体的に証明してみせたことに、ぐうの音も出ないのだ」と満足して村を離れました。
 以上、「宇宙一酸っぱい葡萄を頬張った後で勝利を確信した者」というお話でした。

 (このネタ話は、以下の「はてなブックマーク」を読み終えた際にインスピレーションして作りました)
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/takahirominfuna/status/507879922468020224
 (高橋宏氏による当時の主張から一部を引用)
 >ニセ医学が本物で、本物だと思っていたものがニセ医学だ!!

ネタ話『勇んでニセ科学批判ブログに乗り込んだ悪しき相対主義の初心者』

 その悪しき相対主義の初心者であるAさんは、興奮して言いました。「とうとう僕は、悪しき相対主義の芸風を身に着けたぞ!」
 「というわけで、さっそく常勝の道のりを歩み出すぞ!」

 勇みの気持ちが高ぶったAさんは、たまたま目に付いたブログに乗り込んで論争を仕掛けました。
 しかしながら、そのブログにはマジレスを第一とするニセ科学批判者達が居たのでした。

 意に反して防戦一方になったAさんは、「曖昧で抽象的で、どうにでも解釈できる主張で構成されたバリア」を張りました。
 ニセ科学批判者達は、逐一のマジレスでバリアを消滅させていきました。

 追い込まれたAさんは、後釣り宣言を行いました。「一見すると僕の完全な負けに見えるかもしれないが、これは予想通りの結果なのだ」
 「僕は、あることを検証するために、わざとツッコミどころ満載の主張を行ったのだ」
 「では、そのあることとは?」
 「それは、今は明らかにする時ではない」「その時が来ました!……と僕自身が判断した際に、その意図を明らかにしてあげよう」「というわけで、君達はその日を楽しみに待っていてくれたまえ」

 後釣り宣言を終えたAさんは、「やった、これで議論は僕の逆転勝ちで終わった」と言いました。
 ニセ科学批判者達は、「なるほど、確かに予想通りの結果です。過去に幾多の悪しき相対主義者と遣り取りした経験を持つ我々にとっては、毎度お馴染みの展開です」と言いました。

 その様子を全て見ていたベテランの悪しき相対主義者は、感想を述べました。
 「言っておくが、悪しき相対主義の芸風を選択した論者ならば、世俗から離れた深い森の奥に居を構え、狭い書斎の真ん中に安楽椅子を設置して深く座り、飲み物を片手にネットの画面に向かって次のような台詞を放つべきなのだ」
 
 例:『はい、いついかなるときも、私は中立の傍観者でございます』
 『はい、皆様が騒いでいらっしゃるニセ科学とマトモな科学についても、相対的に見れば同一なのでございます』
 『はい、皆様の下界で行われている議論を遠くの高みから俯瞰していた私による中立の最終結論でございます』

 「以上のような台詞を述べて、聴衆からの、『それで何を主張したいのか、一つも分りませんが……』という疑問の声を受け流し、『しょせんはニセ科学問題など他人事です』という態度の維持に努めて、ニセ科学的な説に振り回されている世俗に向かってのんびりと物申す日々を送るべきなのだ」

 「それにもかかわらず、『悪しき相対主義を自在に操れる僕は、ネット上で一番の天才だっ!』などと吹け上がり、こともあろうにニセ科学批判者達が集う場所に乗り込んで論争を仕掛け、楽に勝てると思って余裕を見せていたものの、気がついたときには退路がゼロという立ち位置に押し込まれて、『なぜに僕が……天才の僕が……こんな目に遭わなければいけないんだあっ!?』とうろたえて、それを見ていたROM達からは、『悪しき相対主義者らしい、惨めな負け方だ』と評されて、せっかく積み上げていた自分の高いプライドを木っ端微塵に帰するとは、あの悪しき相対主義の初心者はアミバ様の轍を踏んでいるのか?」

 『教訓:この話は、現時点における自分の悪しき相対主義の能力をよく見極めたのちに他所の議論の場に赴くべきだということを教えています』

 (このネタ話は、invasivespeacieさんによる次のツイートにインスピレーションして作りました)
https://twitter.com/invasivespeacie/status/550897217909706752
 >だからクマはお前らのペットじゃないんだよ
 >ぶつかると事故るから住み場所を分ける必要があるのに、わざわざ相手の住処に突っ込むとかアタリ屋か

2015年12月13日

kasoken氏のツイートを読み終えた後で「常勝のニセ科学批判批判の道とは如何なるものか」と考える

 ある日、私はkasokenさんによって公開された次のツイートを発見した。
https://twitter.com/kasoken/status/614423734997225473
 (以下、引用)
 >科学ライターや科学コミュニケータ(人によってはSTSも)が震災や原発の直後に「役に立っていないから反省しろ」と言う人、未だにいるんだな
 >「科学」とやらで、何でも解決できると思っているのでしょうか

 読み終えた私は、次のような感想を持った。「前半の部分は、日本語として摩訶不思議な仕上がりになっているために、今ひとつ意味が読み取れなかった」
 「それはともかく、どうやらkasokenさんは、『科学とやらで何でも解決できる』という趣旨のツイートを目撃して憂いを持ったらしい」
 「確かに、『科学で何でも解決できるのだ!』と言われたら、この私でも『そんなわけないでしょ!』とツッコミを入れたくなる。kasokenさんの憂いは理解できる」

 その後、次の「はてなブックマーク」を発見した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kasoken/status/614423734997225473
 (以下、引用)
 『ublftboさん』
 >言及先:“どう「科学」を伝えていたか反省されることはあるのかしら。” 
 >内田要約:“「役に立っていないから反省しろ」と言う人、未だにいるんだな。”
 >どう認識したらこうなる?

 読み終えた私は、首を傾げた。「一体、どういうこと? もしや、kasokenさんが誤読に基づく的はずれな解釈をツイッター上で披露したってこと? そして私は、そのkasokenさんの的はずれな解釈を鵜呑みに信じてしまったってこと? なにがなんだか、にゃんだーかめんです?」

 悩んだ私は、真実を確かめるべく大元であるsyoyuriさんのツイートを読んだ。
https://twitter.com/syoyuri/status/613690421726674945
 (以下、引用)
 >2011年4月25日のツイートに今になってあれこれ言う方がおられるようだけど
 >科学ライターやコミュニケーターを名乗るひとたちは、まだ震災そして原発事故の混乱のさなかだった当時にどう「科学」を伝えていたか反省されることはあるのかしら

 なるほどである。ublftboさんの疑問は、一理ある。kasokenさんの分は悪い。
 しかしながら、次のような釈明の仕方を実行するとkasokenさんの分は良くなると思われる。

 釈明の例:「言っておくが、syoyuriさんのツイートを読んだ直後の私は、『ほう。科学で何でも解決できると申すか。なんとも単純な考え方よのう。この世は複雑怪奇だから科学だけでは解決できるはずもなく、ゆえに多角的な視点で世間に物申す視野の広い論者であるべきよのう。この私のように』と思ったのである。これは、事実である」
 「この事実に対して文句を述べるとは、何事か? これだから、世の全てのニセ科学批判者達は駄目なのである」

 このように述べると、勝ったことになる。

 読者の皆様も、「なぜに、そのような的外れな認識になるの? 反論するにしても、相手の主張の中身をちゃんと捉えてから反論したほうが良いのでは?」と疑問を呈されて議論の分が悪くなった際は、「相手の主張を聞いた直後の私は、そのような的外れな認識を持ったのだ。これは事実だ。この事実に文句を言うとは何事だ」という感じの釈明を披露してあげよう。議論の逆転勝ち、もしくは最低でもイーブンには持ち込める。

 もちろん、そのようなあなたの姿を見た聴衆の大半は、「どういう開き直り方やねん……。苦しい言い訳にも、程がありますやんっ」というリアクションを実行して立ち去るだろう。
 しかしながら、自分と同じく「世の全てのニセ科学批判の活動に懐疑的な立場」の人達からは、次のように受け止めてくれるだろう。
 「うむ、それでいい。あなたの釈明の仕方には、何らの問題もない」
 「悪いのは、あなたを的外れな認識に導いたニセ科学批判者のほうである」
 「今回の件は、世のニセ科学批判者達の『科学的に明らかに間違っている主張をネット上という公の場で肯定的に述べることは良くない』という狭量的な主張を日々聞かされて苦々しく思っていた我々の溜飲を、大いに下げてくれた」
 「いや、本当に久々に胸がすっとしたのだ。実は、その点が一番の収穫だったりする」

 なお、その際に、「このような勝ち方は虚しいだけだ。素直に、自分の認識が間違っておりましたと表明したほうが良いのだ。それ以上の信用低下をくいとめることができるのだ」などとは、絶対に考えてはいけない。
 そのような考え方は、常勝のニセ科学批判批判の道から外れる行為なのである。

2015年12月06日

古市憲寿氏の「世代論というキーワードを使用しながらボケてみせる」という芸に感心する

 次の「はてなブックマーク」を発見した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.jprime.jp/column/man/19308

 どうやら、次のような経緯があったらしい。
 ・まずは、古市憲寿氏が前フリとして「世代論は暴論だ」と述べる
 ・その後、古市憲寿氏は落ちとして「若者がわかる本」なるものを紹介する
 ・それを見たkgotolibraryさんが、「なんじゃそら!?」と驚いて、「言っていることと、やっていることが違いますやん?」と思い、「いや、まてよ。あまりにも分かりやすい矛盾を呈している。もしや、炎上マーケティングか? ということは、古市憲寿氏の発言を取り上げて批判することは、相手の思う壺になってしまうのか?」と疑いながらも、結局はツッコミを入れてしまった

 ……こういうことらしい。

 ちなみに、私自身は古市憲寿氏のことをよく知らなかった。
 まだ世間に名が広く知られていない、デビューしたばかりの新人のお笑い芸人なのかもしれない。
 新人のお笑い芸人にもかかわらず、あのkgotolibraryさんが思わずツッコミを入れてしまうほどのボケを披露して見せるとは、古市憲寿氏という御方はもの凄いポテンシャルを秘めたお笑い芸人ではなかろうか?
 今ここに、『今は新人のお笑い芸人である古市憲寿氏だが、近い将来には世を席巻する大物のお笑い芸人になるであろう』と予言しておく。

 この予言が外れに終わるか否かはともかく、私は次のような教訓を確実に得た次第である。
 「何年も運営している己の過疎ブログが世間になかなか周知されないので哀しいと悩んでいる者ならば、もれなく古市憲寿氏のようなボケ方を習得するべきである」
 「そして、『第二の古市憲寿氏』と呼ばれるような炎上マーケティングを、どんどん実行するのだ」
 「そうすれば、多くの読者からツッコミを入れられて、アクセスが増えて、その結果、念願だった夢のアルファブロガーに成れるのだ。これで、ミッションコンプリートである。その後は、思い残すことなくブログを閉鎖できる」

 このような教訓を私に与えてくれた古市憲寿氏のボケとkgotolibraryさんのツッコミに感謝する。