2014年11月30日

現代科学の常識に対する疑義をネット上で表明したくなったときは、自説をよく検討してから表明したほうが良さそうです

 poohさんのブログで「問題点の概観」という記事を読みました。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2010-02-22-2

 そこでは、石田宗久記者による「代替医療は玉石混交」という記事が紹介されています。私は、次の部分に注目しました。以下に引用します。
 【大分県で死亡した女性は、昨年3月末からゴマや玄米を食べる食事療法の合宿に参加していた】
 【食事や水分を十分に与えられずに体重が10キロ減少、自力歩行ができないほど体調を崩したのに放置され、昨年4月上旬に急性肺炎で死亡した】
 【自称治療師は、取材に対し「私に責任はない」と話し、逮捕直前まで「診療」を続けていた】

 これを見た私は、柿やみかんに罵声を浴びせる実験の話題の近辺で見られた、次のような感じの主張を思い起こしました。
 「この実験について、『条件が適当すぎるし、再現性が低すぎるし、無意味な実験だ』と文句を述べる人が一部に居るようだが、世紀の大実験じゃあるまいし、いちいち細かいことを気にしてどうするのだろうか?」
 「というか、この実験がプロの科学者達が行う実験の水準に達していないことは、とっくに承知しているのだが」
 「条件が適当でも良いではないか。とにかくやってみせるという姿勢が大事なのだから」
 「それで正しい結果が出れば儲けものだし、駄目な結果が出たときは、そのときだ」
 「駄目な結果が出た原因を、みんなで考察すれば良いのだ」
 「そうすれば、無意味と思われたこの実験にも意味ができる」
 「さあ、そこのあなたも傍観せず積極的に参加して、条件が適当すぎる実験を一緒にやり遂げようではないか」

 この場合、科学的な実験を称せず、ことあるごとに「あくまで個人的な遊びの実験です」と強調しておけば、ネガティブなコメントを述べた人も納得し、それどころか積極的に参加しようとするかもしれませんね。
 しかしながら、柿やみかんが腐って終わる実験と違って命に関わるような怪しげな話をネット上で目撃したときは、積極的に参加しないで一歩引いた目で見ていたほうが良さそうです。
 特に現代医学を強く否定するような主張を目撃したときは、「本当の話なのかしら? 鵜呑みに信じた場合、私の命運が尽きるのではないかしら?」という感じで、五十歩、あるいは百歩ほど引きさがって見ていたほうが良さそうです。
・・・・
 ところで、石田宗久記者の記事によると、「現代医学を批難し、自身を地動説を唱えたガリレオに例えながら独自の治療を行う歯科医」も過去に存在していたらしいですね。
 「忘却からの帰還」というサイトに「ガリレオ詭弁」という記事がありますが、「この私の説は現代科学の常識を根底から覆す凄い説なのに、主流の学者達からは全く支持してもらえない。おかしいではないか」という思いが強くなりすぎると、どうしてもガリレオを引き合いに出して自説の正当性をアピールしたくなるのでしょうね。
http://seesaawiki.jp/transact/d/%A5%AC%A5%EA%A5%EC%A5%AA%EB%CC%CA%DB

 そういえば、NATROMさんのブログの「まさか今時ニュートンを否定している人なんていないですよね?」という記事によると、あの船橋市議会議員の高橋宏氏はニュートンやアインシュタインやダーウィンに否定的なツイートを披露していたようですね。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20141128

 私の場合、現代科学で常識とされていることを疑うこと自体は良いことだと思っています。しかしながら、いきなりトンデモな話に飛びつくのではなく、「なぜに現代科学の常識とされているのか? 現代科学の考え方は、どのような歴史を辿って仕上がったのだろうか?」という感じの疑い方が良いと思います。

 ちなみに私も「超科学」なる分野の言説を信じていた時期がありましたが(たとえば、コンノケンイチ氏のUFO本の内容を事実と受け止めて読んでいた。菊地聡さんの本、「超常現象をなぜ信じるのか」を読むまでは)、科学の歴史を学んでいるうちに現代科学の常識に対する疑いの気持ちが少しは減った次第です。

 現代科学に疑義を生じた場合、次のような感じの流れが良いと思います。
 「とりあえず、現代科学の常識と照らし合わせながら自説を検討してみる」
 「それでも現代科学のほうが間違っていると判断した場合は、満を持してネット上で疑義を表明する」
 「そして、ニセ科学批判者達から散々にツッコミをもらう」
 「すると、自分の主張こそ間違っているのかもしれないという思いに至るので、今一度自説を検討する」
 「それでも納得できない部分があれば、それについて疑義を表明する」
 「またしてもニセ科学批判者達から散々にツッコミをもらうので、自説を再検討し、納得できない部分について疑義を表明する」
 この流れを実行すれば、今ひとつだった自説がどんどん精錬されていき、ついにはニセ科学批判者達のツッコミを片っ端から跳ね返す強靭な説に変化すると思います。

 なお、これでは甘すぎると感じ、次のような疑い方が最善だと考える御方も居るかもしれません。
 「あれを疑え、これを疑え、それを疑え、全てを信じない態度こそ科学的だ、この世の事象を全て疑いながら私は人生を全うするぞ!」
 しかしながら、世の事象の全てを疑う態度に徹した場合、日常生活が困難なものになりそうですね。人知を超えた存在ならばともかく、そうでもない人は実践しないほうが無難です。
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2014年09月10日

「釜石の奇跡は奇跡ではない」そのように語る片田敏孝さんの話を聞いて私が懐いた感想

 つい最近の私は、「釜石の奇跡」の話に興味を持ったので少し調べたところ、片田敏孝さんが語っている記事を発見しました。
 「小中学生の生存率99_8%は奇跡じゃない 「想定外」を生き抜く力 WEDGE Infinity(ウェッジ)」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312

 この記事を読み終えた私は、次のような感想を懐きました。「なるほど。震災が起きる数年前から、生徒達は防災に関する知識を高めていたのだ」

 「その防災に関する知識を忘れていなかった為に、地震発生直後に混乱はあったものの、津波の被害が及ばない場所にまで生徒達は避難できたのだ」

 「それにしても、片田敏孝さんの考え方は一々納得できた。参考になることが、山ほどあった。たとえば、『率先避難者』という考え方は、なるほどと思った」

 「少なくとも、『災害が発生した時に冷静な判断で行動することは危険であり、パニック的な行動こそが合理的であり生存率を高める行動だ』という感じで主張していた「デマこい!」さんの考え方よりも、片田敏孝さんの考え方に私は説得力を感じた」

 「私は『デマこい!』さんの主張の仕方に疑問を持っていたが(たとえば、進化論の話など持ち出さず、単純に道徳の話として『パニック的な行動を見せる人に対して笑い飛ばすような態度はよくない』と言えば分かりやすくて良かったのではなかろうか、という疑問を述べた)、片田敏孝さんの考え方を知った今は、さらに『デマこい!』さんの考え方に対する疑義を強くした」

 「というわけで、片田敏孝さんの話から私が学んだポイントを整理する」
 『防災に関する知識を、自分の頭に普段から徹底的に入れておくこと』

 『そうすれば、災害が発生したときにパニックにならず、冷静な判断を行うことができる』
 『その結果、生き延びる可能性が高くなる』

 『私の住む地域で災害が発生した際は、「冷静な判断は駄目だ、パニック的に行動するべきだ」などと思わず、片田敏孝さんの考え方を参考にして適切な避難ができる様に私はありたい』

 「そのように思った次第である」
 「以上で、私の感想を終えるとする」
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2014年08月26日

NATROMさんに向かって「自作自演ですね」と言いたくなる理由を考えました

 あのtentenさんが、NATROMさんのブログのコメント欄で自作自演の疑いを提起していました。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20140814#c1408634063

このようにtentenさんが言い出した理由について、私は四つほど考えました。
 一つ目:本当に、心の底からNATROMさんの自作自演を疑っている。第三者にも納得してもらえるような証拠を掴んでいたりもする。

 二つ目:この発言の前に、NATROMさんと遣り取りして自分の主張にツッコミを貰っていたのだが、的確に反論できる言葉をすぐに思いつくことができなかった。
 そこで、「NATROM氏に自作自演の疑いあり!」と言い出すことによって議論の流れを変え、反論のための時間稼ぎを図った

 三つ目:以前のNATROMさんとの遣り取りにおいて、自分の主張を支持する人は思いのほか少なかった。
 そのことが大いに不満であり、「このうえは、自分の主張を認めないNATROM氏に心理的なダメージを与えるとしよう」と考えて自作自演の話を持ち出し、NATROMさんの困惑する姿を眺めて自分の溜飲を下げようと図った

 四つ目:実は「ご自愛ください」と言おうとしたのだが、間違って「自作自演」と言ってしまった。(「ご自愛」と「自作自演」は語呂が似ているため、ごっちゃになりやすい)

 以上のような理由を考えました。

 ちなみに私の主観データによると、議論の相手に心理的なダメージを与える目的で「自作自演ですね」と述べる人の大半は、
過去に自分も自作自演を疑われて心理的にダメージを負ってしまった経験があるものと思われます。
 そのような経験を持つ人がNATROMさんと議論して不満を抱いたとき、次のような考えに至ります。

 「過去の自分は、自作自演を疑われて心理的ダメージを負った。よって今回の議論も、NATROM氏に向かって自作自演だと言えば、私が経験したものと等しい心理的ダメージを与える理屈になるのだ」

 ネット上の議論を幾つか眺めていると、自分の主張が不利になった際に、
「相手は自作自演している。と言うのも、相手には支持者が多く現れたにもかかわらず、この私には支持者が少ないからだ。よって、相手は自作自演していると言える。私に反論できなくなった果ての駄目すぎる行為ではあるが、哀れな姿でもある」
と述べる論者を見かけることがありますが、こういうことだったのです。

 tentenさんの態度が変わらない限り、「これからも、『自分が心理的ダメージと考えている言葉』をNATROMさんに向かって放ち続けるであろう。そしてtentenさんは、どんどんツッコミを貰い続けた挙句に、『よっしゃ、今回はこのくらいにしといてあげる!』と言って去るであろう」と予言しておきます。
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2014年08月13日

NATROMさんのブログのコメント欄と、コールド・リーディング

 「NATROMの日記」様の記事、「海水を点滴したというルネ・カントン氏について調べてみた」のコメント欄でtentenさんのコメントを読みました。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20140804
 (以下、引用です)
 >宋さん自身がしないにですか?笑

 この言葉を初めて目にしたとき、私は「しないにって、何? 『宋さんが市内に居るよ』って意味?」と思いました。
 どうやら、その後のNATROMさんとtentenさんの遣り取りを見ると、次のような読み解きが正しいものと思われます。
 『あの宋美玄氏はテレビで不正確なことを言った後、なんの訂正も謝罪も行っていない。そのような状況の中、なぜに私が一人だけで謝罪の言葉を述べねばならんのだ? 不公平ではないか!』

 その後のtentenさんはNATROMさんからの、「宋先生が誰かに対して訂正・謝罪する必要があるのでしょうか?その理由は?」という質問に対して直ぐには答えませんでした。
 「自分は間違ったことを言っていない」という考えがあると同時に、「もしかしたら、自分は間違ったことを言っていたかもしれない。しかしながら、謝罪の言葉は述べたくない…。だって、何かに負けたような気がしますから!」という考えがあったのでしょう。
 だからこそ、NATROMさんの質問に対してtentenさんは直ぐに答えることが出来なかったのです。

…以上は全くの憶測ですが、先の読み解きと合わせて考えると、意外に当たっていたりするような自信が私に溢れています。
これがいわゆる、コールド・リーディングというものなのでしょうか?

 (2014年8月21日の追記)
 コメント欄に再びtentenさんが現れました。NATROMさんの予想通り、今のところ質問に真正面から答えてる様子は見られません。
 ところで、「しないにですか」という言い回しは、「議論で負けないための言葉」に成りつつあるようですね。

 今後の展開を予想すると、tentenさんが曖昧な言葉を述べてNATROMさんたちのツッコミを誘い、「それは私の真意ではありません。よって、あなた方の批判は的外れです。もう一度、私の過去のコメントを読んでくださいね」という感じの展開がしばらくあると思います。
 そして、皆が呆れて相手にしなくなったときにtentenさんは勝利宣言して去るのです。

 この予言は当たると思います。なぜならば、
 ・過去にも似たようなケースがあった
 ・よって、今回もしばらくはボケとツッコミが繰り返される
 ・皆が厭きた頃に、tentenさんは完全勝利を謳って去る
 ・それを見送る皆は、「毎度おなじみの展開じゃったな。そういえば、あの人は今なにをしておるのかのう…」と昔に思いを馳せる
 という考え方です。これは、論理的に正しい考え方です。
posted by TAKA at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

認知症徘徊事故訴訟について私は思考を停止することを選択した

 「新小児科医のつぶやき」様の記事、「認知症徘徊事故訴訟」を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20140425

 読み終えた私は、次のような感想を懐きました。「その判決は駄目すぎる!裁判官は何を考えているのか! その遺族は、あらゆる手を尽くして一生懸命に介護していたのに、あろうことか裁判官は遺族に多大な金額の賠償責任を背負わせるなんて!」

 しかしながら、事の真相は複雑なようです。コメント欄に登場されている7shi様によれば、次のような事情があるらしいです。
 (以下、7shi様のコメントからの引用です)
 http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20140425#c1398413531
 >通常は示談や相続放棄なのに、資産持ちなのに介護に金を使わなかった遺族がJRとの交渉を拒否して一切払うつもりがないことから提訴された模様
 >少なくとも貧乏な一般人がJRから毟り取られる類の話ではないようです

 >この件は、遺族が多額の資産は相続する一方で損害を与えた債務の相続を拒否していることが伏せられている点(民法第713条を持ち出して、免責されているから債務自体が存在しないとJRに主張したかも。それならJRは当然714条を持ち出すことになる)
 >相手が鉄道会社である点、の2点がネット上の反応に大きく影響していそうです
 http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20140425#c1398484927
 >一般論として考えたら、JRの訴えが認められなければ、認知症患者が他人にいかなる損害を与えても患者家族は資産だけをそっくり継承できて損害を与えられた被害者は泣き寝入りすることになるという別の意味で震撼する事態になります
 (以上で、7shi様のコメントからの引用を終えます)

 いや、実に色々と考えさせられる話です。
 なんだか、あれこれ考えることは面倒になってきました。
 ここは思考を停止して、「その判決は駄目すぎる! 遺族に一方的な責任を押し付けるという、酷い判決だ!」と叫んでいたほうが楽で良いですね。
posted by TAKA at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

シノドスの記事「ドキュメンタリー番組の罠 」を読みました

 SYNODOS(シノドス)の片瀬久美子さんによる記事、「ドキュメンタリー番組の罠 」を読みました。

 読む前の私は、次のような考えを持っていました。
 「テレビというものは、公共性を重視しているはずだ。今の発達した情報文明社会において、少し調べたら分かってしまうような虚偽など、テレビ局が行うことはないはずだ」
 「よって、テレビ局が放送するドキュメンタリー番組は、客観的な事実のみを視聴者に伝えていると言える」

 しかしながら、片瀬さんの記事を読み終えた今は次のようになりました。
 「テレビ局側の編集次第で、いかようにも事実を歪曲して視聴者に伝えることができるって、本当でございますか。なんたることではございませんか」

 批判的思考が今一つの状態である私の場合、「これは本当の話です」と提示されると、すぐに鵜呑みにして信じてしまいます。
 「あの人が真面目な顔で本当だと言っているのだから、本当の話に違いないのだろう」
 もの凄く後になってから、気がつくこともあります。
 「あれ、あのOpen ブログ様の科学に関する記事って、何かがおかしいような? まあ、いいか」

 今一度、「情報リテラシー」という言葉の意味を勉強して、すぐに鵜呑みにしない人間になりたいと思います。
 たとえば、次のような話を聞いても、鵜呑みにせず、懐疑の心で接する人間になりたいと思います。
 『あの村上春樹さんは、物事を徹底的に調べる御方であると、私は信じている』
 『たとえば、あのタバコのポイ捨てに関する話も、私は村上春樹さんを信じている』

 『村上春樹さんは小説の中で、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と記述しておられるのだから、その話は事実であると私は信じる』
 『これは、論理的にも絶対に間違っていない考え方であると私は信じる』

 『もちろん、事実と違うこともありえる』
 『実際には、中頓別町でタバコを車の窓から捨てる人は、ほとんど居ないのかもしれない』
 『でも、「だから何?」である』

 『しょせんは、フィクションである。村上春樹さんのネタに、マジレスすることは間違っている』
 『ネタには、ネタで返すべきである』

 『倍返しのネタを披露する。余裕があれば、七倍返しのネタを披露する。もっと余裕があれば、七十七倍返しのネタを披露する』
 『余裕のユーモアを世間にアピールし、観光客をどんどん呼び込む。これが、大人の町おこしの戦略である』

 『以上で、アドバイスを終えるとする』
・・・・・
 シノドスの話と関係の薄い話になりますが、最近の私は釈由美子さんによる「小さいおじさん」の話を面白いと思って受け止められるようになりました。

 他の芸能人の御方が「小さいおじさん」の話をしても、「釈さんの話のほうが面白かったかも」という感想になることが多いです。

 「小さいおじさん」が見える原因として、確か、「イマジナリーなんとかコンパニオン」という説明があったと思うのですが(うろ覚えです)、それを踏まえても、釈さんの話に出てくる妖精さんはリアルに感じてしまうのです。

 自分でもよく分からない不思議な感覚ですが、UMA(未確認生物)を追う番組なとで使用される台詞、「謎は、謎のままで放置して良い。深く追求する作業なんて、自分の思考が疲れるから嫌なのだ」という感じで受容している次第です。
posted by TAKA at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする