2017年01月12日

ネタ話『態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーでも絶対に説得すべきと主張したニセ科学批判者と、それを信じて実行して嘆いたニセ科学批判者』

 その宇宙一の君子的なニセ科学批判者を目指しているAさんは、ほかのニセ科学批判者たちに向かって主張しました。
 「たとえ議論の相手がすこぶる態度の悪いニセ科学ビリーバーであっても、みなさんは絶対に説得をあきらめてはいけません

 「反発されたり、嘲笑されたり、人格攻撃されたり、匿名と実名の話にすり替えられても、みなさんは説得を続けるべきです」

 「あいまいで抽象的なコメントをたくさんもらった末に一方的な勝利宣言を聞かされても、みなさんは唖然としていないで説得を続けるべきです」

 「変なネガティブキャンペーンを張られて事情を知らない人たちから冷たい目で見られても、みなさんはなにも言わないでじっと耐えるべきです」

 「態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーの心情に寄り添い、優しい微笑みを見せてあげ、あたたかい雰囲気で包み込んであげ、遠まわしに間違いを指摘しながら科学リテラシーの大切さを自覚させてあげるべきです」

 「ネット上で見かけた態度のすこぶる悪いニセ科学ビリーバーたちを、片っ端から説得してみせる。これこそが、真のニセ科学批判なのです

 それを聞いたほかのニセ科学批判者たちは、「そう思うのならば、Aさんがご自身で実行して成果を出してください、その際は参考にします」
 と言って済ませました。

 しかしながら、Bさんだけはハイな気分で賛同しました。「Aさんの言うとおりだ!」
 「態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーたちを片っ端から説得してみせてこそ、真のニセ科学批判といえるのだ!」

 さっそくBさんは、Aさんの主張したとおりのニセ科学批判を始めました。「説得だあ! 態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーたちを、説得だあ!

 その翌日のBさんは、頭ごなしに反発されて嘲笑されて人格を攻撃されました。「でも、文句は言わないぞ、絶対に文句は言わないぞ!」

 さらに翌日のBさんは、なにを言いたいのか一つも分からないモヤッとした返事をもらって読み解きに苦労しました。「でも、読み解くぞ、絶対に読み解いてあげるぞ!」

 そのまた翌日のBさんは、嘘しか書いていないネガティブキャンペーンを張られて、事情を知らない人たちから冷たい目で見られました。「でも、じっと耐えるぞ、絶対にじっとして耐えるぞ!」

 その状態で1000日が経ったころ、Bさんは自分のブログで成果を報告しました
 「1000人のすこぶる態度が悪いニセ科学ビリーバーと対話して、僕の説得に納得してくれた人は、たったの一人でした!
 「でもこれは、僕の力不足が原因なんです!」

 「今ごろAさんは、すごい数の態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーを説得しているに違いないよね!」

 Bさんは、Aさんのブログを閲覧しました。Aさんは、「話を聞いてくれそうなニセ科学ビリーバー」を説得している最中でした

 不思議に思ったBさんが質問すると、Aさんは答えました。
 「ええ、たしかに1000日前の私は、態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーたちを片っ端から説得すべきと主張しました」

 「その直後、私は態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーと対話して説得を試みました。すぐに、対話を中止しました」
 「なにしろ、態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーとやり取りする作業は、私の神経をみるみると消耗させてしまったのです」

 「その後の私は、話を聞いてくれそうなニセ科学ビリーバーに限定して、語りかけを続けてきました」
 「おかげさまで、頭ごなしに反発されるという目には遭わず、変に誤解されて信用を落とすという目にも遭わず、それどころか、私のブログの愛読者になってくれる人がたくさん居てくださりまして大にぎわいです(^^)V」

 それを聞いたBさんは、ローな気分でつぶやきました。
 「あのとき、Aさんの主張を聞いて飛びついた僕は」

 「態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーたちの説得を試みて」

 「嘲笑や人格攻撃をもらっても、じっと耐えて」

 「意味がよくわからない返事をもらっても、読み解きに頑張って」

 「理不尽なネガティブキャンペーンを張られて、事情を知らない人たちからの信頼を失って」

 「それでも、1000日のあいだ頑張って」

 「説得に成功した態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーは、1000人のうち1人だった」

 「一体どの時点で、自分の非効率な活動に気がつくべきだったといえるのだろうか?」

 「その答えを見出したところで、なにかが変わるわけでもない。いまの僕には、引退するしか道はない」

 ポジティブシンキングがオフになったBさんは、人里から離れた尖峰の頂きに小さな庵をかまえて移り住み、朝に夕に己の不明を嘆いて一生を終えました。

 以上、「態度がすこぶる悪いニセ科学ビリーバーでも絶対に説得すべきと主張したニセ科学批判者と、それを信じて実行して嘆いたニセ科学批判者」というお話でした。

 教訓:「この話は、現時点における自分の実力をかえりみず、君子的なニセ科学批判者が説く理想論に飛びつこうとしているニセ科学批判者に聞かせてあげるとよいでしょう」
タグ:疲れ

2017年01月04日

ネタ話『論理的な記事と感情的な記事を書いたあとで嘆いたニセ科学批判の初心者』

 その初めてブログを開設したAさんは、決意を述べました。
 「今日から僕は、ニセ科学批判の記事を量産するんだ
 「記事のスタイルは、余計なことは言わず、ただニセ科学の問題点についてのみ語るスタイルにするんだ」
 「そのほうが、読者さんの思考にダイレクトに伝わるんだ」

 さっそくAさんは、ニセ科学について淡々と語る記事を書いて公開しました。
 「ニセ科学は、社会のリソースを無駄に消費する存在なんだ」
 「ニセ科学は、僕たちの銭と健康と人生を奪う存在なんだ」

 「そんなのお断りな僕たちは、科学的に怪しい説を聞いたときに、すぐさま正体を見きわめるための高い科学リテラシーを身につけておくんだ

 「既存のニセ科学批判ブログやウエブサイトを読み、ニセ科学の特徴を学び、科学的な考え方を習得し、ネット上で見かけたニセ科学的な説に向かってどんどんツッコミを入れる僕たちになるんだ

 すると、傍観者のBさんが現れて言いました。
 「うむ、シンプルで分かりやすい記事である」
 「だがしかし、我輩はともかく、普通の一般市民にとっては素っ気ない記事で面白みが0である
 「もっと、感情を前面に押し出した記事を書くべきである」

 「そうすれば、記事の表面的な部分しか見ない一般市民たちの思考に届くのである」
 「以上で、我輩の感想を終えるとする」
 「一傍観者にすぎない我輩は、Aさんの返事を確かめず、ただROMに去るのみである」

 それを聞いたAさんは、納得しました。
 「なるほど、感情が少ない記事は読者さんの受けが今ひとつなのか。僕の内なる感情を、素直に出せばいいのかな?」

 さっそくAさんは、感情を前面に押し出したニセ科学批判の記事を書いて公開しました。感情の出し方は、漫画の「北斗の拳」に出てくるモヒカン風にしました。
 「ヒャッハッハ、ニセ科学批判だあ!」

 「ニセ科学は、社会のリソースを無駄に消費する存在だあ!」
 「そんな汚物なニセ科学は、消毒だあ〜!
 【ぼわあ〜っ!!】
 「はっはっは、ニセ科学め、土下座しろ! もっと、消毒して欲しいか!」

 「ああ? おい見ろよ、あのイケダハヤト氏がホメオパシーを肯定的に紹介してたらしいぜ?」
 (googleで「イケダハヤト氏のホメオパシーの紹介記事」で検索した結果
 「ニセ科学すら利用してまで、銭が欲しいんだとよ〜!
 「それを一部の読者から批判されたら、」
 『この私は、紹介しただけの立場。あとは、消費者である皆さんの、自己責任

 「という感じの返しで自己正当化をはかるところなんざあ、テンプレどおりのリアクションでつくづく失笑させてくれる炎上芸人だよなあ〜! ヒャッハハ、ゲラゲラ
 「おっと、イケダハヤト氏の主張を変な角度から擁護する者が現れやがったぜ?」

 『ホメオパシーの紹介はともかく、EMの肥料については、紹介したり購入したりすることに問題ありません
 『なぜならば、EMの肥料は宣伝文句こそニセ科学的ですが、中身は他で売られている肥料となんら変わりはない普通の肥料だからです
 『ゆえに、EMの肥料を紹介したり購入したりする人に対して、部外者である私たちがあれこれ口出しする行為は絶対に間違っており、絶対に黙って傍観しているべきという結論になります』

 「おい、一般市民のみんな、聞いたかよ!? EMの肥料は、中身が他の肥料と同じだから、購入してもなんら問題は起きないってよ?」
 「だったら、言った本人がじゃんじゃん購入してあげたらいいという理屈になるよなあ〜?」

 「なにせ、一切問題は起きないと自分で断言しているんだからよ〜」
 「というわけで、己の貴重な銭をEMの肥料につぎ込んであげろ、あげろ〜、ヒャッハッハーっ」
 「……と、こんな感じのニセ科学批判で良いのかな? 良しとしよう」

 すると、別の傍観者のCさんが現れて言いました。
 「今度の記事は、感情的な言葉が散りばめられているから、面白い記事としては合格なの」
 「でも、肝心のニセ科学のなにがどうダメなのか、事情を知らない一般市民の思考に少しも入らない記事になっているの。よって、ニセ科学批判としては不合格な記事なの」

 別の傍観者のDさんも言いました。
 「ひたすら感情論を書き連ねるニセ科学批判では、一般市民がついてきませんわ」
 「感情と論理のバランスに考慮した記事を、心がけるのですわ」

 「そうすれば、論理的な記事が好きな一般市民と、感情的な記事が好きな一般市民の関心を、同時にゲットできるのですわ」
 「これまでの漫然なブロガーから、戦略的なブロガーに脱却するのですわ」

 それを聞いたAさんは、納得しました。
 「なるほど、論理と感情のバランスが程よくとれた記事を書いてこその、ニセ科学批判ブロガーなのか。この場合の程よくって、どんな感じなんだろう?」

 「とりあえず、予稿を書いてみよう。ことわざにも、『ならうより慣れろ』とあるし」
 さっそくAさんは、論理と感情をバランス良く配合した記事の作成に取りかかりました。

 そこへ、「悪しき相対主義者なんかではありません、深山の頂きから世俗のニセ科学批判者たちの活動を見下ろしている普通の傍観者です」という雰囲気を出しているEさんが現れて言いました。
 「まともな科学とニセ科学は、相対的に同じです
 「まともなビジネスとニセ科学的なビジネスは、相対的に同じです」
 「論理的な記事と感情的な記事は、相対的に同じです」

 「以上の三つの例から見ても分かるように、この世に存在するあらゆる事象は相対的に同じです
 「ゆえに、ニセ科学を批判することは無意味であり、今すぐに中止して沈黙を保つべきという結論になります」

 「この結論に反論する人は、視野が狭い井戸の中のブロガーとして、この私から認定されることになります」

 「以上は、自宅の狭い書斎の真ん中に置いた安楽椅子に座り、紅茶を片手にAさんのブログをざっと眺めた私の、個人的な思索です
 「私の個人的な思索を鵜呑みに信じて行動して後に起きた問題の責任は、すべてAさんが負うことになります。かしこ」

 それを聞いたAさんは、嘆きました
 「論理的なニセ科学批判の記事を書いて公開すると、ダメ出しされる」
 「感情的なニセ科学批判の記事を書いて公開すると、ダメ出しされる」
 「論理と感情のバランスがとれた記事を準備していると、そもそもニセ科学を批判すること自体が無意味とダメ出しされる」
 「結局、僕の言論活動は全否定されるんだ

 やる気スイッチがオフになったAさんは、ブログを閉鎖して消えました。
 以上、「論理的な記事と感情的な記事を書いたあとで嘆いたニセ科学批判の初心者」というお話でした。

 教訓:『この話は、初心者がニセ科学批判を行う際に、過去に行われていたニセ科学批判批判のいろいろなタイプを知って対策を準備しておけば長続きするということを教えています』

2017年01月02日

ネタ話『昨日と今日で違うことを言って勝ったニセ科学批判批判ブロガー』

 そのブロガーであるAさんは、ニセ科学批判批判の記事を公開しました。
 「世のニセ科学批判クラスタは、科学と関係がない他の分野のインチキに言及してはいけない

 「科学的なインチキだけに的を定めて批判しなければいけない」
 「たとえば、あの江戸しぐさをニセ科学批判クラスタが取り上げて言及するなど、もってのほかである」

 「というわけで、世のニセ科学批判クラスタは、科学と関係がない他の分野のインチキに口出しすることを、今すぐに停止したまえ」

 このAさんの記事を読んだニセ科学批判者のBさんは、感想のコメントを投稿しました。
 「ニセ科学を批判している人だから他の分野のインチキに言及してはいけないという主張は、無理があると思います。それよりも、」
 『他の分野のインチキを批判しても良いし、批判しなくても良い。どのようなインチキを批判の対象に選ぶかは、人それぞれで自由である
 「という主張をしたほうが無難だと私は思います」

 その翌日、Aさんは新しい記事を公開しました。
 「世のニセ科学批判クラスタは、科学と関係がない他の分野のインチキも取り上げて言及する義務がある

 「それにもかかわらず、科学的なインチキだけに的を定めるとは、何事か」
 「口出しする対象を、自分の得意分野だけに制限するとは、何事か」
 「そのような怠惰な自分に甘んじて余生を過ごそうとするとは、何事か」

 「というわけで、ニセ科学批判クラスタは怠惰な生活を今すぐに中止して、この世に存在するすべてのインチキな説に言及する作業に取り掛かりたまえ」

 Aさんの新しい記事を見たBさんは、感想のコメントを投稿しました。
 「言っていることが昨日と違うようですが、一日で考えを改めたということでしょうか」
 「ならば、その旨を説明する文章を追記したほうがよろしいかと思いますが、いかがでしょうか」
 「そうすれば、世の人々から、」
 『あのブロガーの言葉は、示唆する内容が一日ごとにコロコロ変わっている、日めくりカレンダーにおまけで付いている占いの言葉と同じ状態ですわ
 「と言われる事態を防ぐことができます」

 Aさんは反論しました。
 「この私は、ボランティアでニセ科学批判クラスタを監督してあげている傍観者である」
 「そんな私に向かって逆に指示を出すとは、何事か」
 「他人の私に対してあれこれ偉そうに指図する不遜なB氏は、分をわきまえるという思考を身に着けたまえ」

 それを聞いたBさんは、困惑のコメントを投稿しました。
 「いや、私はAさんに監督して欲しいなどとは一つも頼んでいませんが……。他人に向かって偉そうに指図している人は、Aさんのほうなんですが……」

 Aさんは、「やれやれ、分からん者に言っても分からんものは一生分からんのだな」と言って、その後は知らん顔しました。

 Bさんは、さらなるツッコミを入れようとしましたが、
 「いや、あのAさんの態度にあきれた他の読者たちが大いにツッコミを入れるはずだ、ここは様子を見ているとしよう
 と考えてツッコミを控えました。

 Aさんのブログの愛読者たちは言いました。「Aさんの言うとおりだ」
 「世のニセ科学批判クラスタは、昨日は科学以外の分野のインチキを批判する資格がなく、今日は科学以外の分野のインチキを批判する義務がある」
 「それにもかかわらず、飛躍した論理でドヤ顔を決める的外れなBさんは、林に赴いてムササビ夜間行動でも観察していろ」

 それを聞いたBさんは、ハイなリアクションを見せました。
 「フヒャハー! Aさんの態度に疑問を呈したら、逆に私の評価が下がってしまったぜベイベーっ!!」
 「ほんとこの世は、裏目だらけだぜーっ! フヒ、フヒャ、ハー!!」

 次にBさんは、ローなリアクションを見せました。
 「天から見ている空飛ぶスパゲテッィ・モンスターさま。縮めて言うと、スパモンさま。理不尽な信用低下に追い込まれた私を、お救いください」
 「このような事態のときにこそ、スパモンさまのお力を発揮して、私をお救いください」
 「願いが叶った時は、ビールを樽で捧げます」

 しかしながら、スパモンからの返事はありませんでした
 Bさんは、がっかりしました。
 「ああ、今の私には、ニセ科学批判を引退するしか道は残されていないのだ」

 言い終えたBさんは、ネット上から姿を消しました。
 こうしてAさんは、一人のニセ科学批判者の活動を停止させることに成功しました。

 以上、「昨日と今日で違うことを言って勝ったニセ科学批判批判ブロガー」というお話でした。
タグ:疲れ

2017年01月01日

「ニセ科学批判に関する質問の例と回答の例」の、ちょっとした練習です

 (練習、始め)

 質問A:「ネット上で活動する全てのニセ科学批判者たちは、統一された怒りのもとで行動しているって、本当ですか?」

 回答A:「はい、本当です。そのような主張を振られた我々は、ツッコミを入れるというお約束の行動を選択します」

 質問B:「ネット上で活動する全てのニセ科学批判者たちは、議論の途中で都合が悪くなると相手を強制的に黙らせようとするって、本当ですか?」

 回答B:「はい、本当です。不思議な論理を述べ続ける論者の行動は、我々の気力を奪って沈黙に至らせます」

 質問C:「ニセ科学批判者たちが公開するコメントは画一化されていて、」
 「しかも主張の内容は、昔から同じことを延々と繰り返しているだけって、本当ですか?」

 回答C:「はい、本当です。もちろん、ネット上で意見表明する際の心情や文章のスタイルは人それぞれで違うわけですが、」
 「コメント送信ボタンを押すという行動は画一化されており、昔から延々と繰り返し押されてきました」

 質問D:「ニセ科学批判者たちが運営するブログでは、科学的な物言いをする人の投稿しか許可されないって、本当ですか?」

 回答D:「いいえ、何事にも例外はありまして、その昔に菊池誠教授が運営していたkikulogでは、」
 『この科学絶対主義者たちめ! 見えざるピンクのユニコーンを敬うと言え!
 「という感じのセリフを述べる人の投稿も、許可されていました」

 質問E:「ニセ科学批判者たちのブログを愛読しても、ニセ科学被害の根本的な解決には繋がらないので無意味だと主張するブロガーを、私は他所で見かけことがあります」
 「そのブロガーの主張を聞いた当時の私は、圧倒的な説得力を感じました」
 「しかしながら、そのブロガーの主張に納得して愛読者になる人が激増したという話を、私は聞きません」
 「一方で、ニセ科学批判者たちのブログを見捨てる人が激増したという話も、私は聞きません」

 回答E:「この場合、そのブロガーの存在そのものに気がついていない人が多いだけという可能性が高いです」
 「日頃からニセ科学の被害に悩まされている人々は、既存のニセ科学批判よりも役に立つ解決方法を示してくれる新たな論者の登場を、常に待ち望んでいます」
 「あなたが感じたという説得力がでなければ、近い将来そのブロガーのところに圧倒的な数のニセ科学被害者が訪れることでしょう」

 質問F:「ニセ科学批判者たちに向かって散々に罵倒の言葉を浴びせた後で、」
 『戦略的な私は、君たちとの議論をより深みがあるものにしたいと思い、あえてヒールを演じていたのだ、本当の私は善人ですよ』
 「という言動を見せる論者が、仮にネット上で実在したとします」
 「この場合、その論者を疑うことなく善人とみなして良いのでしょうか?」

 回答F:「はい、その論者を善人とみなして良いです」
 「他人を散々に罵倒した後は、なにかしら言い訳を述べて罵倒した事実を正当化したくなるものです」
 「その論者は、自分を正当化するという正直な態度を見せています」
 「正直イコール善です。ゆえに、正直者は常に善人であるという結論になります」

 質問G:「ネット上で活動しているニセ科学批判者たちは、菊池誠教授が言うことを頭ごなしに信じ込む人たちばかりに見えます
 「明らかに菊池誠教授が変な主張をしたときでも、他のニセ科学批判者たちが真っ向からツッコミを入れる場面を、私は一度も見たことがありません」
 「ニセ科学批判者たちは、思考が停止している己を反省すべきではありませんか?」

 回答G:「それが意外にも、次のようなリアクションを採用する論者の出現は、停止していないのです」
 「菊池誠教授が新たに公開したツイッターを読み終えると、ただちに否定を呈したり、ただちに揶揄を呈したり、」
 「ただちに嘲笑を呈したり、ただちに風刺を呈したり、ただちに被せのボケを呈したり、ただちに無視を呈したり……」
 「このように、菊池誠教授がネット上に発するツイッターは、他の論者たちにとって格好の獲物であり、」
 「自分自身の考えをネット上で表現する際の、下敷き的なネタとして扱われているのです。思考を停止している暇がありません」

 質問H:「ニセ科学批判の連中は、今日もまた偉そうに説教しているが、」
 「あんな偉そうな態度を見せても、上辺の優しい雰囲気しか見ない一般大衆が聞き入れるわけがないことくらいは愚者にでも分かることであり、」
 「くだらん言論をネット上に増やしているだけの連中である」

 回答H:「仰るとおりです。今もまた、一つ増えてしまっている有り様です」

 質問I:「いやあ、君たちニセ科学批判の活動も、一般の市民たちから色々と誤解されているようで、大変だねえ。たとえば、」
 『そんなにニセ科学批判が偉いのなら、今すぐ全ての人類に高度な科学リテラシーを授けてみせろ!』
 「などと、逆襲のシャア風のセリフを言ったりするような、」
 「ないものねだりしか頭にない一般の市民たちには、困ったものだよねえ」
 「他人に向かってないものねだりをしている暇があるんだったら、自分自身で行動を起こせって言いたくなるよねえ」

 「ところで君たちニセ科学批判者は、いつになったら私が満足するジャンルの記事を書いてくれるんだろうねえ?」
 「たとえば、あの『ガリガリ君』は、ドイツ表現主義の映画の『カリガリ博士』を凍らせたものか否かを検証する記事とか、」
 「キョウチクトウアンチクトンの語源の関係について考察する記事とか、」

 「アニメソングとアニソドンテアの語源の関係を考察する記事とか、」
 『アニマルプラネットを視聴していたら、なぜか野生の暮らしに憧れる自分が居たけれど、よく考えてみると、あんな不便な環境で一生を送る自信はないし、現状のライフスタイルの維持でマーイーカ?』
 「という感じの記事とか、」
 「そういった記事を君たちが書いてくれることを、もう随分まえから私は待っているんだけどねえ?」

 回答I:「ご自身でどうぞ」

 質問J:「ニセ科学批判は、宗教ですか?」

 回答J:「いいえ、空飛ぶスパゲッティ・モンスター(注:縮めてスパモンと言います)を本気で尊敬しているニセ科学批判者の数は0です」

 質問K:「この宇宙空間に存在する全てのニセ科学批判者たちを論破した暁には、私は宇宙一の勇者に成れますか?」

 回答K:「はい、スパモンより弱い勇者に成れます」

 質問L:「スパモンの存在を否定するリチャード・ドーキンスを、完全論破しました! ゆえに、この私はスパモンよりも強い存在になりました!!」

 質問L:「いいえ、スパモンよりも少し弱い存在です」

 質問M:「あなたはスパモンよりも強い存在ですか?」

 回答M:「私がスパモンです」(……どやっ)

 質問N:「スパモン カイトウ アリガトウ

 回答N:「こちらこそありがとうございました、地球外生命体さま」
 「時間が余りましたので、これより私は、『あざーっすという言葉の語源はアザトースである』という説が嘘かまことか、ショゴスに聞いてこようと思います」

 (練習、終わり)

 内なる声:(ふむ、ニセ科学批判の話題に詳しくない一見さんでも直ぐに理解してくれる質問と回答に仕上げることができた、よしよし)

2016年12月29日

菊池誠教授が公開したツイート、「馬鹿みたいな質問に馬鹿みたいな答えを書いて云々」で起きている話題から、常勝のニセ科学批判批判のヒントを読み取る

 ある日、「他人から送られてきた質問の内容を『馬鹿みたい』と判断し、」
『馬鹿な質問には答えない、付き合うだけ私の貴重な時間を無駄に消費することは目に見えている』
「と返して沈黙を保つかと思いきや、」
「即座に答えて相手の論に付き合ってみせるという学者は、実在するのだろうか?」
 と思いながらネット上を探索していた私は、次の記事を発見した。

 はてなブックマーク - 「国家権力と密接なカルトと、カルトの二択なら、前者を選びます」「それは二択として成立していないのでは?」「国家権力と密接なカルトは定義としてカルトではない」「あっはい」 -

 印象に残るコメントがいくつかあったので、以下にメモしておく。

 filinionさんのコメント
 
「聞かれたから言うけど、どっちか選べと言われたら靖国の方がマシだろうね。まあどっちもダメだけど」って言ってるのを、「靖国を肯定した!」扱いか…。菊池氏、先日は似た手法でナチ支持者に仕立て上げられてた

 常勝のニセ科学批判批判を模索している私の感想
 「ふむふむ。つまり、」
 『AとBは、どちらもダメである』
 『しかしながら、あえて選ばんとするならば、比較的マシなAとする』
 「という感じの答えを目撃した際は、」
 【あの回答者は、Aはダメだと自分で評しながら、そのダメなAを選択した。ゆえに、あの回答者はAを肯定していると結論できる
 「と言ってあげると良いわけだ」

 「そして回答者が、『比較的マシなBを選択する』と述べたときは、」
 【あの回答者は、Bはダメだと自分で評しながら、そのダメなBを選択した。ゆえに、あの回答者はBを肯定していると結論できる
 「と言ってあげれば良いわけだ、メモメモ」

 takah-jugemさんのコメント
 
うん○味のカレーとカレー味のう○こ、どっちを選ぶか。この設定では「両方拒否」という選択肢はありません。どちらかを必ず選んでください。ほかに選択肢はありません。出題者含めて○んこというお話

 私の感想:「ふむふむ、態様が似ているが内容は違うという二つの物体を見せて、必ず一方を選択させるという質問の仕方があったのか」
 「相手が両方を拒否したり、第三の選択を行ったときは、」
 『あなたには、必ずどちらか一方を選択しなければいけない義務がある。それにもかかわらず、まともな回答を見せなかった』
 「ゆえに、あなたは不誠実な回答者だと結論できる
 「と言うことができるわけだ、メモメモ」

 bottomzlifeさんのコメント
 
あのね、どうでもいいんだけどこういう「絶対二択」の思考実験をすることほど浅はかなものはないのよ。「どちらも選ばない」「一方のこの部分を選ぶ」が現実世界だろ。人物の底が見えるよ

 私の感想:「ふむふむ、ということは、」
 『いま提示された二択の他に選択肢があるかもしれないなどと考えを巡らせてはいけませんよ、絶対に考えを巡らせてはいけませんよ』
 「という「ダチョウ倶楽部」風の言葉で念を押したうえで、相手に二択を行わせると良いわけだ、メモメモ」

 oka_mailerさんのコメント
 
”選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか”という先日引用ブクマした 記事を改めて思い返すなど

 私の感想:「ふむふむ、ということは、選択をさせる側の立ち場の者としては、」
 『早く答えなさい、私の質問の内容が回答するに値するか否かを吟味する時間の猶予なんか、あなたにはありません』
 『それにもかかわらず、悠長に吟味をした人は、決断が遅いダメな回答者として私から認定されるのです
 「と言ってあげると良いわけだ、メモメモ」 

 agricolaさんのコメント
 
宗教なんて専門外に口出ししないで「国家権力と密接なニセ科学と、ニセ科学の二択」を論じれば良かったのにね。「親学とニセ科学」とかさ

 私の感想:「ふむふむ、菊池誠教授は第二リチャード・ドーキンスに成ろうとしている途上だったようだ。しかしながら、」
 「第二のドーキンスに成る道のりは、天体のMACS0647-JDに辿り着く道のりと同じくらい遠いので、2063年が到来していない現時点では、『親学とニセ科学』を語ることが菊池誠教授にとって最適の選択ということか、メモメモ」

 omi_kさんのコメント
 
カルト批判にポジショントークが絡むとグダグダになるなあ

 私の感想:「ふむふむ、ということは、この私が、」
 『カルトじゃあ! ニセ科学批判は、カルトじゃあ!』
 『このわしが、ニセ科学批判はカルトであるという印象を、心の中で懐いておるのじゃあ! ゆえに、現実世界のニセ科学批判も、カルトであると結論できるんじゃあ!』
 『この主張に反論するニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』

 『反論しないもしないが賛成もしないと中立を表明するニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』
 『なにも表明せず沈黙を保つニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』
 『即座の賛成を表明しなかった判断が遅いニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』

 『即座の賛成を表明したニセ科学批判者は、わしの主張を深く吟味することなく飛びついて来たので、思考が停止しているニセ科学批判者だからカルトで決定じゃあ!』
 『カルトは消毒だあ!』

 「と言いながら、ニセ科学批判者たちのところへ赴いて、カルトであることを認めさせようと議論を始めるも、逆に途中から私の方で言い訳が増えはじめ、」
 『なんだか、今の状況って私に不利のような?
 『でも、ニセ科学批判者たちの主張を素直に認める気持ちは、一つもないし?
 「と思ったときは、」

 ・ポジショントークを全開にして、議論をぐだぐだにさせる
 ・すると、ニセ科学批判者たちは消耗して疲れ果て、『なんでウチらがこんな議論に付き合わなあかんねんな』と虚しさを感じて、退場する
 ・その結果、私にとって不利だった議論が、イーブンの状態で終わったことになる

 「という行動を選択すれば良いわけだ」
 「これは実用的な議論の仕方を知った、要メモメモ」
・・・・・
 以上で、私のメモを終えるとする。
 今回もまた、常勝のニセ科学批判批判の思索の時間を大いに過ごすことができた。
 明日のこの時間は、「むちゃ振り」と「被せのボケ」というお笑い用語の思索に当てる次第である。

2016年12月27日

IkaMaru氏の「マイケル・シャーマーは歴史修正主義をニセ科学として云々」というコメントから推測に推測を重ねた私

次の記事を発見した。
 『はてなブックマーク - 神林土偶さんのツイート 普段からその問題について発信していない人ではなく、ニセ科学を積極的に批判している集団が直球のニセ科学、歴史修正主義であるホロコースト否定、ナチス
 (以下、IkaMaru氏のコメントより引用)
 
>マイクル・シャーマーの著書から「ニセ科学」なる言葉を借りたと言うキクマコ先生は、当然シャーマーがニセ科学と呼ぶ対象に歴史修正主義が入ってることを知ってるはずなのだけど、ねえ

 読み終えた私は、今ひとつ感が残った。
 というのも、シャーマーが歴史修正主義をニセ科学と看做していたとしても、シャーマーでない者は、
 『ウチの現時点における実力で批判できる対象って、一体なんなんやろうなあ?
 と考えた末に選び出した対象を批判するだけである。

 もしや、次のようなことを仰りたかったのだろうか?
 「シャーマーは、歴史修正主義をニセ科学と看做していた。ゆえに、シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた菊池誠教授は、必ず歴史修正主義の批判を実行しなければいけないという結論になる

 なるほど、これならば菊池誠教授も、次のような感じで納得するだろう。
 「確かにそうじゃのう、シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りたわしは、シャーマーと同一の言動をしなければいかんのう、これは、論理的に正しい結論じゃのう」

 また、次のように反論する場合もあるだろう。
 「シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた者だからといって、シャーマーと同じ言動をすべきということにはならない」
 「シャーマーと同じ言動をしても良いし、しなくても良い」
 「この私が『ニセ科学』という言葉に、独自の定義を与えることは自由である」
 「もちろん、この私の定義を読者の諸君が受け入れるか受け入れないか、それも自由だったりする」

 このように反論された場合は、次のように返すと良い。
 「シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた人間は、必ずシャーマーと同じ言動をしなければいけない。これは、論理的に正しい結論である」
 「それにもかかわらず、『勝手に独自の定義を決めていいんだもん』とは何事か」

 「また、その是非を他人である読者たちの判断に委ねるとは、何事か」
 「これだから、菊池誠教授が行うニセ科学批判は全て駄目すぎなのであり、よって他のニセ科学批判者たちも駄目すぎと私から認識されてしまうのである

 このように返すと、菊池誠教授ひとりに勝っただけでなく、世の全てのニセ科学批判者たちに勝ったことになる。

 以上は、私のエアなニセ科学批判批判であるが、現実のネット上でも十分に使えるニセ科学批判批判だと自負する。

 次のようなセリフをニセ科学批判者たちに向かって述べる私が将来にあるだろう。
 「あのシャーマーだって、【まだ生きていたら】、空飛ぶスパゲッティ・モンスターをニセ科学と看做していたに違いないのだ!」

 「ゆえに君たちは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターを必ず批判しなければいけないという結論になり、不存在の証明を必ず実行し、その答えをネット上に必ず公開すべきという結論になるのだ! どやっ!」

 そういえば、アニメの「起動戦士ガンダム」にも、
 「シャア少佐だって、現場では命令違反しても良い場合があると考えていたんだ、ゆえに俺は、今から現場で命令違反を実行してもいいんだ!」
 という感じのセリフを述べた者が居たような記憶がある。

 このセリフを述べた者は、「シャアがそう考えていたからシャアでない俺もそう考えるべきなんだ」という思考回路の持ち主だった可能性が高い。
 その結果は失敗に終わったが、セリフ自体は論理的に決めてくれたジーンさんであった。

 というわけで読者様も、シャーマーと異なる言動を採用するニセ科学批判者の姿をネット上で見かけた際は、次のように言ってあげよう。
 「その言動はシャーマーの言動と違います、ニセ科学を批判する者ならば、必ずシャーマーと同一の言動を見せなければならんのです」

 一部のニセ科学批判者は反論するだろう。
 「俺はシャーマーじゃねえ! 俺は俺だ!」
 「あたくしはシャーマーのドッペルゲンガーではございませんわ」

 しかしながら、大半のニセ科学批判者は悟るだろう。「そうだった、私はシャーマーと同一の言動をすべき存在だった」

 こうして、ネット上にシャーマーと同一の言動を採用するニセ科学批判者が増えていく。
 シャーマーのコピー人間たちが、ネット上のそこかしこで活動する。
 ニセ科学批判クラスタがマモー状態になるのである。