2017年01月19日

ネタのお言葉『炎上芸であがった株を守る』

 「炎上芸であがった株を守る」とは、あの『守株』(しゅしゅ)の元ネタとなった言葉である。
 それまで過疎だった自分のブログが突然に炎上し、アクセス数が大幅アップしたことに注目し、
 そのあとも似たような炎上の記事を作って公開し続けるという態度を意味する。

 【なりたち
 あるネット上の片隅に、泡沫ブロガーのAさんが居た。
 Aさんは、自分のブログ内にトゲがある記事を絶対に置かないと決めていた。
 「他人の主張を批判するときは、相手の感情面を第一に考えること」

 「態度がすこぶる悪い人との対話も、その心情に寄り添う姿勢を見せてあげること」
 「常に、暖かく包み込むような雰囲気を出すこと」

 「遠まわしに相手の間違いを指摘して、自覚的な悟りに導いてあげること」
 「これこそが、真のブロガーだ」

 ある日、Aさんは間違ってトゲがある記事を書いて公開した。
 「このネット上には、多くのブロガーが存在して、それぞれ好き勝手に評論を展開して、ドヤ顔で締めくくっているが、哀れな姿である」

 「なにしろ、深山の頂きから世俗のすべてを見下ろすがごとく、物事の本質を知ったうえで評論を展開しているブロガーは、私ひとりなのだから」

 そのAさんの記事は、多くの人から反発された。いわく、「Aさんこそ、本質が分かっていない視野の狭いブロガーだ」

 「この広いネット上には、物事の本質を知りながらも、世俗に対する評論をいっさい控えている仙人のようなブロガーが、身を隠して多く存在しているのだ」

 「それにもかかわらず、他のブロガーを十把ひとからげにディスリスペクトして自己の優越をアピールしたAさんは、【北斗の拳キャラクター紹介】のジードさんの項目から正しいリスペクトの仕方を読み取っていろ」

 思わぬ批判の声に戸惑うAさんであったが、とにかく心を落ち着かせようとしているうちに、
 「おや、私のブログのアクセス数が、今まで見たことがないくらいの値に達しているではないか?」
 「良くも悪くも、私の株はあがったということか? これが、炎上芸のメリットなのか?
 とポジティブな思考になった。

 Aさんは、それまでの「暖かく包み込むような雰囲気を出すブロガーで居る」という信条を捨てることにした。
 かわりに、読む人の神経を逆撫でするような記事の作成に努めた。
 「この炎上のスタイルを維持するかぎり、私のブログは倍々ゲームのようにアクセス数がアップする計算なのだ」

 しかしながら、しばらくの間は批判者たちも反応を示していたものの、似たような炎上芸を何度も見せられているうちに慣れてしまい、コメントを寄せなくなった。

 ついには、「他人をイラつかせることに己のリソースをつぎ込むAさんの姿勢が、大好きです!」と言って残っていた最後の愛読者すらも、
 「Aさんは、炎上を狙いすぎ」
 「Aさんは、アクセス数にこだわりすぎ」
 「Aさんは、みんなからの批判を真摯に受けとめるべき」
 「Aさんは、清廉な記事のみを書いて公開するブロガーに成長するべき」
 と言って姿を消した。
 
 結果的に、Aさんのブログは以前よりも閑古鳥が鳴く状態となった。「カッコー、カッコー」
 キジバトも鳴いた。「ホーホ、ホッホホー。ホーホ、ホッホホー」

 物悲しい鳴き声を聞いた人々は、「炎上芸であがった株を守るAさん、かえって過疎を進めたり」と言って哀れんだ。
 Aさんは、それでも方針を変えることなく、炎上の記事の作成にこだわり続けて一生を終えた。

 誰も居なくなったAさんのブログ跡を訪れて過去ログを読んだ韓非は、のちに「炎上芸であがった株を守る」という言葉を意識しながら守株のたとえ話を作ったのであった。
タグ:他山の石

2017年01月08日

ネタのお言葉『庭のイバラを刈るべきか』

 「庭のイバラを刈るべきか」とは、あの「郢書燕説」(えいしょえんせつ)の元ネタとなった言葉である。
 「一人の論者がネット上に公開した意味がよく分からない主張を、読む側の人々がそれぞれ自分なりに解釈して納得する」という意味である。

 【なりたち
 あるブロガーのAさんが、自宅の庭にはびこるイバラを気にしながらブログの予稿を書いていた。
 その際に、うっかり「庭のイバラを刈るべきか」という言葉を予稿の中に書き込み、そのままブログ上で公開してしまった。

 その記事を読んだ別のブロガーであるBさんは、
 「これはなにを意味しているのでしょうか? おそらく、自身が管理するブログ内にイバラが生えたようなトゲトゲのdisの記事を置いてはいけませんという意味でしょう」
 と解釈した。

 さっそくBさんは自分のブログに戻り、
 「ネット上は公の場だと認識するブロガーならば、イバラが生えたようなdisの記事は控えるべきです」
 「トゲのない優しい雰囲気の記事の作成に細心を払い、読者たちに和みの場を提供してあげましょう」
 という記事を書こうとした。

 しかしながらBさんは間違って
 「ネット上の議論においては、目先の勝利が第一です。ネットマナーとか相互理解とか、そんなの関係ありません」
 「イバラが生えたようなdisの作成に、己の持てるすべてのリソースをつぎ込みましょう」
 「トゲのない無難な記事を量産したところで、面白みがないので読む人の思考に一つも残りません
 という記事を書いて公開してしまった。

 それを見た別のブロガーであるCさんは、「一体どういうこと? 私のような泡沫過疎ブロガーの場合、まずは炎上芸に勤しんで知名度をあげるべきってこと?」と解釈した。

 さっそくCさんは、自分のブログに戻ってdisの記事を書いて公開した。
 それを見た読者たちは、それぞれの立ち位置の違いによって批判のコメントや支持のコメント、諌めのコメントなどを送った。

 あるときには、
 『この私は第三者で中立で絶対的な傍観者ですと自己紹介したあと、前フリとして難解な用語を並べて長い演説をぶってオチに一般論を持ってきて締めくくる』
 という、Cさんが今まで見たこともない立ち位置の人からのコメントも送られて来た。

 その後もCさんが新しくdisの記事を書いて公開するごとに炎上し、Cさんのブログの知名度は日ごとに向上し、気がつくとCさんは泡沫過疎ブロガーから脱却して有名ブロガーになっていた。
 にぎわう自ブログの状況を元の発言者であるAさんにトラックバックで伝えると、Aさんは「えっ、なんの話?」と首をかしげるばかりだった。

 この騒動のすべてを見ていた韓非は、のちに「庭のイバラを刈るべきか」という言葉を意識しながら郢書燕説のたとえ話を作ったのであった。
タグ:善意で解釈

2016年12月31日

ネタのお言葉『冬のdisはつとめて。雪が降りたる間のdisは言ふべきにもあらず』

 この言葉は、あの清少納言がネット上の罵倒芸について述べた言葉である。

 【意訳】
 冬のdisは早朝が良い。雪の降るさまを眺めながらネット上にdisを呈する楽しみは、言うまでもない。

 霜が通常の三倍ほど白く見えるときは、私のdisの頻度も通常の三倍となり、またそうでないときも通常の三倍でdisる。

 読者たちの反応が寒いときは、炎上の成分がより多い文章を9.58秒で仕上げる。

 神経を逆撫でする内容のコメントを完成させ、私の書斎から読者たちの茶の間に届ける作業は、肌がひりひりとする冬の早朝にぴたりである。

 昼になって書斎の寒さが少しずつ和らいでいくと、私の毒舌も少しずつ和らいでいく。

 そうなると、盛んに炎上していた私のブログも冷めてしまい、慌てて新たなdisのコメントを投稿してブログの熱を保とうとするも、慌てすぎて自分自身をdisる内容のコメントを投稿してしまった。

 これはまさに、キャンプ地に赴いて「私は焚火の経験があるベテランだ」と言いながらキャンプファイヤーを実行するも、
 意外とすぐに消えそうになったので、慌てて桧の薪を投入しようとしたところ、間違って杉の薪を投入してしまい、
 爆ぜた熾きが自分に向かって飛んで来た時と同じ状態であった。
 【意訳終わり】

 このような事があったと清少納言は枕草子に書いている。

2016年12月30日

ネタのお言葉『炎上後のdisログは日に以って疎し』

 この言葉は、あの「去者日以疎」を作った無名氏が呟いた言葉である。

 【なりたち】
 あるdisブログの主が、よそで起きている話題に向かって好き放題にdisを発していたところ、一読者から諌められた。

 そこでブログ主は、筋道立てて反論するというリアクションを選択せず、逆切れ嘲りで返すというリアクションを選択した。

 すると、その他大勢の読者が現れて批判のコメントが殺到し、ブログ主は後釣り宣言で即答し、それまでの主張を無かったことにして知らん顔した。

 それを見た人々は、「あのブログ主が発する言葉を真面目に取り上げても、自分の時間を無駄に消費して終わるだけだ」と判断した。
 それ以降、信用に疑問符が付いたdisブログを訪れる者は一人もなく、ブログ主自身も飽きて管理を放棄した。

 数百年後、無名氏がブログ跡を訪れた。
 炎上していた昔の面影も無いさまを見て呟いた言葉は、「炎上後のdisログは日に以って疎し」だった。

 【呟きの全文】
 炎上後のdisログは日に以って疎し

 炎上時に来ていたROMたちは そろって他所のログに移って和みし

 今に私が関心を懐いて過去ログを熟読すれば

 ただ紛糾の跡を知るのみ 

 反故的な芸を続けたブログ主の言は 廃れてあくたとなり

 追い込まれて発した勝利の告白は かえって炎上用の薪と化す

 自己フォローとして吐く言葉は ひたすら誤謬が多い

 それでも 「僕は間違ったことを言ってないもんね〜」
 「間違いだと指摘する君たちのほうが 間違っているんだものね〜」という飄々とした態度に終始し

 ついにROMらを撤収に至らせる

 ここまで過去ログを読み進めた私は ブラウザの閉じるボタンの押しを思う

 押してあげようかしらんと思えども またdisの過去ログを読む私なり
 【呟き終わり】

 こうしてdisブログの跡を眺めながら呟いた無名氏は、のちにこの呟きを下敷きにして「去者日以疎」を作ったのである。

2015年11月26日

ネタのお言葉『自らのdisを反りみて縮(なお)からずんば、ニセ科学といえども吾恐れざらんや。自らのdisを反りみて縮(なお)かれば、千万のニセ科学といえども吾往かん』

この言葉は、あの孟子が「disの大勇」について弟子の公孫丑に向かって説教する際に、孔子が語ったものとして紹介した言葉である。

 意訳:「自分のdisのコメントを見直して、駄目な出来になっていると自覚した場合は、たとえ議論の相手がニセ科学的な主張をドヤ顔で述べていたとしても、私は恐れる」

 「自分のdisのコメントを見直して、駄目な出来になっていないと自覚した場合は、たとえ議論の相手がニセ科学的な主張を千万本繰り出そうとも、私は恐れない」
・・・・・
 ネット上の一部では、科学的に間違った主張をドヤ顔で繰り出している論者が存在する。
 だからといって、対応する側も雑な罵倒芸を見せて良いわけではない。
 雑な罵倒芸で対応していると、聴衆に「どっちもどっちだ」という印象を持たせてしまうからだ。

 ニセ科学的な主張を目撃した際に、「今すぐにdisのコメントをネット上に送信したい!」という気持ちが湧いたとしても、ぐっと堪えるべきだ。
 作成したdisのコメントを眺めて、駄目な部分を一つずつ直していくことだ。

 そうして仕上がった隙のないdisのコメントならば、ニセ科学的な主張をドヤ顔で行っている相手から幾ら突きを入れられようとも、こちらのdisのコメントはビクともしないで持ちこたえることができるのだ。

 しかしながら、「いいえ、ネット上に送信する前に自分のdisのコメントを眺めたけれど、駄目な部分は一つも見つかりませんでしたよ(^-^?」
 と言って、駄目なdisのコメントをネット上で公開してしまう論者は後を絶たない。

 その場合、次のような思考に陥っている可能性がある。
 「ニセ科学をdisる側の自分は、常に正しい」
 「その自分が作ったdisのコメントの仕上がりも、常に正しい」
 「よって、事前の念入りな推敲の作業など、自分には一切必要がない」

 このような思考だから、いつまで経っても雑なdisのコメントをネット上で披露してしまうのであり、聴衆からの信用もいつまで経っても得られないのである。
 そのように孔子は分析している。

2015年11月18日

「属性攻撃」に関するネタのお言葉をいくつか作りました

 『わが属性攻撃。そはプライドが高すぎる汝が、数々のdisり合いを経験しているうちに見い出した、ただ一つすがる藁のもの』
 解説:ある罵倒芸の初心者が、ネット上で行う論戦で負けが続いた後、アイザック・アシモフの科学エッセイ「わが惑星、そは汝のもの」を間違って思い出したときの言葉。

 『素人の罵倒芸とは何か? それは、議論の流れが不利になった際に、相手の属性を攻撃するだけで満足して終わってしまうという芸である』
 解説:あるベテランの罵倒芸の論者が述べた言葉。
 その論者の主張によれば、相手の属性に触れずにdisることが最も美しい罵倒芸なのだという。
 (注:この場合、「属性さえ攻撃しないのであれば、たとえば藁人形論法や後釣り宣言などは好き放題に行っても良いのか?」という疑問が湧くかもしれないが、それは別の問題として触れないでおく)

 実際にネット上で行われている議論においても、相手の属性を攻撃して直ちに勝利宣言する論者の姿をちらほらと目撃することがある。
 それを当然の勝ち方だと受け止めている読者も、一部にちらほらと居る。
 真の罵倒芸を探求している読者の皆様にとっては、大いに考えさせられる言葉といえる。

 『おい、お前、このドアホウ者、お前は俺の罵倒芸ブログを何年読んできたんだ? 「論には論で対抗するべき」とか、なに寝ぼけたことを言っているんだ?』
 『おかげで、トラバ先のブログが優勢になっているじゃないか、お前は相手の属性を攻撃する思考が全く足りていないぞ』
 解説:ある苛烈な罵倒芸のブロガーが述べた言葉。
 トラバ先との激しいdisり合いに嫌気が差し、怠慢な属性攻撃を見せ始めた自ブログの愛読者を叱った。

 『ディベート的に議論に勝つのはきわめて容易ですが、それはギャラリーに好印象を与えません。馬鹿にしているように見えたら、やはり逆効果です』
 解説:あの菊池誠教授が運営するブログ、「kikulog」の過去記事に書かれていた言葉。
 なるほどである。
 相手の主張の間違いを指摘することも大事だが、もっと重要なのは聴衆から持たれる表面的な印象ということなのである。
 「私は常に正論を述べているにもかかわらず、支持してくれる読者が一人も現れない……。なぜだ!」
 という疑問を懐いている御方は、表面的な印象を意識して自分の罵倒芸をソフトなものに変えてみよう。
 菊池誠教授の言葉が真実であれば、支持者の数が劇的に増えるだろう。

 『お花畑かい、お前の思考は? 俺なら、空飛ぶスパゲッティ・モンスターに対する属性攻撃も遠慮しねえよ』
 解説:ある苛烈な罵倒芸のブロガーが、幼少の頃に述べた言葉。目上の論者に対して過剰な礼儀を見せる友人を批判した。

 『あの苛烈なニセ科学批判者さんは、なぜに苛烈な言葉を交えて対話を行うのだろうか?』
 『たしかに相手の論者は、聴衆から「科学的に間違っている主張ですよ」と総ツッコミをもらっても、主張を訂正するどころか属性攻撃に走ってドヤ顔を決めて自ら信用を落としまくっている哀れな論者だけれど、それにしても苛烈なニセ科学批判者さんは口が悪すぎるのではないかしら?』
 『あの苛烈なニセ科学批判者さんが、優しく遠まわしに諭してあげる温和な対話スタイルを見せてくれるならば、私も素直に支持を表明できるのに』
 解説:ある穏健派のニセ科学批判者が、苛烈なニセ科学批判者の対話スタイルに疑問を呈したときの言葉。
 このように、相手の属性を攻撃して勝利を目指す芸風を否とする論者は、ニセ科学批判界にも存在していたのである。

 『私の主張をツイッターで批判しているのは誰だ? その論者のブログを見つけて乗り込んで、属性を徹底的に攻撃しろ』
 解説;ある苛烈な罵倒芸のブロガーが、愛読者達に向かって述べた言葉。
 その後の展開は、以下のとおりである。

 ブロガー:「その論者の属性を攻撃したか?」
 愛読者達:「その論者の正体ですが、長々と理屈を述べる面倒くさいニセ科学批判者でした。というわけで、適当にdisって帰ってきました」
 ブロガー:「では、その面倒くさいニセ科学批判者とやらを、俺のブログのコメント欄に誘導してこい」
 (その後、誘導されて現れた面倒くさいニセ科学批判者の属性を徹底的に攻撃してアクセス禁止の処分にしたブロガーは、愛読者達に向かって次のように言った)
 ブロガー:「次回に俺の罵倒スタイルに背いたときは、お前達がこうなる」

  『うむ……。どうかつっぷ?』
 解説;あのアニメ、「新世紀エヴァンゲリオン」に登場するゲンドウさんが述べた言葉。
 両肘を机の上に置き、両手の指を顔の前で組み、その姿勢を維持したまま、キャビアとハムとウォッカとシャンパンとレモンを一度に食そうとして、むせた。

 『俺の論法は、属性攻撃で固められている。お前が何千何万のdisを繰り出そうとも、俺に勝利することは不可能だ』
 解説:あの漫画、「聖闘士星矢」に登場するデスマスクさんが、論戦を挑んできたブロンズセイントに向かって述べた言葉。
 その後もデスマスクさんは論戦を有利に展開し、再び勝ち誇る言葉を述べた。
 「クックック。俺の論法は、属性攻撃で固められていると言ったろう? いまさら、そんな小さなdisなどでビクともするか! さあ、礼儀を重視する論者達と共に敗北しろ〜!」
 「と余裕を見せていたら、小さなdisでビクついて俺が敗北に至ったぞ、あじゃぱー」

 『お前の属性は、数年前に俺の大事なマイナスイオン擁護論を批判した、菊池誠教授の属性に一部が似ている……』
 解説:ある私怨的なニセ科学批判批判を得意とする論者が、ネット上で偶然に見つけた一般市民のブログに乗り込んでいちゃもんをつけ、ブログ主から、
 「なぜに、意味不明なdisのコメントを寄越したのですか? この私は、あなたの仰るニセ科学批判活動などとは全く関係のない、ただの一般ブロガーですよ!」
 と疑問を呈された際に、漫画の「北斗の拳」に登場するジャギさん風に述べた言葉。

 『おい、お前! 俺の属性を言ってみろ!』
 解説:あのジャギさんが、自ブログに現れた一見の読者に向かって述べた自己紹介の言葉。

 『俺のブログの過去記事を見ても、まだ分からないのか? もう一度チャンスをやる、俺の属性を言ってみろ!』
 『そうか、お前はニセ科学というものを批判している野郎か、ほう〜、俺の属性を言ってみろ!』
 『ネット上の一部に罵倒芸なるものが存在することも知らずに日常生活を送っている、一般市民のお前ら〜。俺の属性を、言ってみろ!』
 『俺の属性を言ってみろ〜。ふふふ、ははは、ふわぁっはっは! ……痛たた、笑いすぎて顔面がつった、元に戻らねえ』
 解説:同じく、ジャギさんが一見の読者に向かって述べた自己紹介の言葉。

 『あの御方の属性を、言ってみろー!』
 解説:ジャギさんのブログを愛読している一人のモヒカンさんが、ジャギさんのプロフィール写真を指しつつ一見の読者に向かって述べた言葉。

 『まだ属性攻撃に頼っているのか』
 解説:あのケンシロウさんが、ジャギさんのブログを久々に訪れたときに述べた言葉。

 『うるせえ、俺は誠実な議論が全てとは思っていないんだ』
 『ようは、勝っている自分を演出できればいいんだ』
 『それを普通に受け止める読者だって大勢いるんだ』
 『今のネット上は、属性攻撃が微笑む時代なんだ!』
 解説:ケンシロウさんに議論の姿勢を問われたジャギさんが、釈明したときの言葉。

 『いやな時代だ、ネットマナーを守る人ほど属性を攻撃される!』
 解説:あのアニメ、「北斗の拳」の次回予告でナレーターが述べた言葉。

 『うわぁっはっは! 俺は、どんな論者様だ? 俺の属性を言ってみろ!』
 『この俺は、相手の主張の中身の吟味など一切行わず、ただ属性を攻撃するだけで議論に勝った雰囲気を醸し出せてしまうという芸風の、見かけの印象に嘘をつかない論者様だあ〜!』
 解説:ケンシロウさんとの議論で形勢が有利になったときに、ジャギさんが述べた言葉。

 『あの黄金色に光り輝くような属性攻撃……。我が手に欲しい。ゴクリ』
 解説:あの漫画、「王家の紋章」に登場するカプター大神官様が、ネット上の議論で勝ち誇るジャギさんを偶然に目撃して述べた言葉。

 『ちょっと待て! まさか、そんなマジレスのツッコミを?』
 『やめてくれ、頼む、こんな俺の煽りに乗っからず、冷静に科学的な視点でツッコミを入れられたら、聴衆に俺の負けが明らかになってしまう、な、な!』
 解説:あのケンシロウさんから、小さいながらも鋭いツッコミで痛いところを突かれそうになったときにジャギさんが述べた言葉。
 その後もジャギさんは、
 「議論の流れが不利になって立場が弱くなった俺の心情に、今こそ優しく寄り添うような温かい態度を見せるべきではないか?」
 と訴えて、ケンシロウさんに惻隠の情を期待した。

 『これで議論は終わりだとぉ〜、馬鹿めぇ〜、属性攻撃をネット上で臆面もなく公開している論者は、なんと俺の他に二人も居たりするのだぁ〜、その論者達と出遭って困惑するお前の顔が目に浮かぶわ〜、 ははは、ばばば、ばわ』
 解説:結局ケンシロウさんからとどめのツッコミを入れられ、当初の思惑とは違う姿の議論を聴衆に晒してしまう結果に終わり、失意のうちにブログを閉鎖した際にジャギさんが述べた言葉。

 『いい加減にしなさい、誰彼かまわず噛み付いて属性攻撃するなんて』
 解説:あの映画の「ジョーズ」の主人公が、ジョーズの悪辣な口調に対してツッコミを入れたときの言葉。

 『属性攻撃隊! 議論で負けを認めることは、絶対に嫌なんジャー!』
 解説:あの戦隊物テレビ番組の、アンチヒーロー的な番外編。
 あらすじ:悪役のブログを訪れた主人公達は、論破を開始する。
 途中で形勢が不利になるも、属性攻撃を繰り返して悪役を唖然とさせ、辟易させ、疲弊させ、沈黙に追い込んだ。
 その後、主人公達は自ブログに戻り、読者達に結果を報告する。「正々堂々と勝ってきました!」

 『てめえ、人間の基本的道徳というものを知らないのか? 罵倒芸の俺はともかく、清流が芸風の論者なら、属性攻撃など絶対に考えもしない行為だぜ!?』
 解説:ある罵倒芸の論者が、礼儀の論者の属性を攻撃していると、逆に自分も属性を攻撃されてびっくりした際に、漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」風に述べた言葉。

 『属性攻撃にも良い面がある。属性を攻撃された者は、気分が高揚するのだ。「こんなことでは負けない、もっと打たれ強い論者に成ってみせるっ」という感じで奮起するのだ。属性攻撃は、相手を更なる高みに導く効用があるといえよう』
 解説:あるブロガーが、「ジョジョの奇妙な冒険」風に述べた言葉。
 その後、この主張に賛同した多くの読者達から属性を攻撃されたブロガーは、「ジョジョの奇妙な冒険」風に気分を高揚させた。「アッハッハ、最高に『鬱!』ってやつだ、WRYYYY!」

 『あらあら、こちらは属性攻撃のブログではありませんのね』
 解説:あのアニメの「ガンダムSEED」に登場するラクスさんが、菊池誠教授のブログである「kikulog」の全ての過去記事を読み終えた際に、意外な気持ちを述べた言葉。

 『やーい、菊池誠教授のハゲー、ハゲハゲー』
 解説:ある軽口を得意とする論者が、菊池誠教授のブログである「kikulog」の過去記事で、「円形脱毛症になった。これは誰かの呪いか。心当たりが有りすぎて、見当がつかない」という感じの文章を見つけた際に述べた言葉。
 その後、その論者は突然現れた二頭の熊から、【これでもかっ】というほどにネットマナーを説教された。

 摩訶不思議な現象ではあるが、噂によると、『ハゲに向かってハゲと言うと、直後に二頭の熊が必ず現れて、こちらが疲弊して倒れるまで礼儀に関する説教を聞かされる』という法則があるのだという。
 (注:この部分の記述は、『忘却からの帰還』というブログの『自分の信念に合わない聖書の記述』という記事を参考にして書きました)
 >ハゲのエリシャと42人の子どもたちと2頭のクマさん