2016年12月20日

「べき」という言葉を使用したニセ科学批判批判の、ちょっとした練習です

 次の記事を発見した。
 『取扱注意】「べき論」は自分にも相手にも悪影響な4つの理由。 妻に、好かれよう。』

 読み終えた私は、「べき論って、なんじゃらほい? あのゲス不倫をディシプリン的に考察する、新しい学問か?」と疑問を懐き、必然的に「べき論・メリット・デメリット」という言葉でネット検索した。

 すると、表示された検索結果の画面をいくつか見ているうちに、「常勝のニセ科学批判批判のヒントがあるようだ?」という思いになり、さっそく練習に入るのである。
・・・・・
 仮に、読者から次のようなコメントが来たとする。

 仮の読者:「こんにちは。私は、ニセ科学しか批判しないニセ科学批判クラスタに向かって、次のように物申してあげようと思っている者です」

 主張:『歴史修正主義を批判しないニセ科学批判クラスタは、私にとって何の意味もない存在だ

 『あなた方が私にとって意味ある存在でありたいならば、歴史修正主義を批判すべきだ』

 『この主張に反論するニセ科学批判者は、歴史修正主義者で決定だ』

 『反論はしないが賛成もしないと中立を表明するニセ科学批判者は、歴史修正主義者で決定だ』

 『何も表明せず沈黙を保っているニセ科学批判者は、歴史修正主義者で決定だ』

 『即座の賛成を表明しなかった判断が遅いニセ科学批判者は、歴史修正主義者で決定だ』

 『即座の賛成を表明したニセ科学批判者は、私の主張を深く吟味することもなくあっさり飛びついて来たので、思考が停止しているニセ科学批判者で決定だ』

 『ようするに、あなた方は歴史修正主義に対抗する言論を量産して私の心を満足させるべきということだ』

 『では、さっそく実行に移したまえ』
 『不安に思わなくていい、この私が常に傍観者としての立場で遠くから諸君をじっと監督してあげている

 仮の読者:「このような主張の仕方では、さすがに冗長で真意が伝わり難いと思い、」 

 「次のようなシンプルな主張をしてあげたいと思っています」

 シンプルな主張:『ニセ科学を批判するならば、歴史修正主義も批判すべきだ』

 『なぜならば、ニセ科学と歴史修正主義は、間違いが含まれているという点で同じだからだ』

 『よって、ニセ科学批判者にもかかわらず歴史修正主義を批判しない者は、この私から無意味な存在と認定されるのだ』

 仮の読者:「これならば、ニセ科学批判クラスタも素直に受け入れると思います」

 「しかしながら、一部のひねくれたニセ科学批判者から、『ニセ科学を批判するならば歴史修正主義も批判しなければいけないという主張の正当性を説明せよ』と言われてしまった場合、私は何と答えてあげれば良いでしょうか?」

 仮の読者:「たとえば、『な、なに、その懐疑の目は? 文句があるなら、いつでも私が運営するブログのコメント欄にいらっしゃい!』と答えてあげたり、」

 「または、『私に主張の正当性を説明させるな、それくらい自分で考えろ、どあほっ』と答えてあげたり、」

 「あるいは、『ブルシット! 勝手に発言するな! いま発言していいのは私だけだ! 人の発言を静かに聞いていられないニセ科学批判者たちは、自分の口で自分の目を噛めるか否かの検証実験でもしていろ!』という答え方も有りだと思いますが、」

 仮の読者:「やはり、理路整然とした答えを見せてあげて、ニセ科学批判者たちに、『し、信じられん、そんな正当性があったとは……。ウボァ……。ウボァー!!』と言わせてあげたいのです」

 このようなコメントをもらった場合、次のように答えると良いだろう。

 回答:「コメントありがとうございます。ニセ科学批判者が歴史修正主義を批判すべきことの正当性についてですが、次のように考えることができます」

 「そもそも、世の全てのニセ科学批判者には歴史修正主義を批判すべき義務があります」

 「なぜならば、ニセ科学を批判対象に選んだ瞬間に、現実世界に存在する全ての『誤りが含まれている言説』を批判すべき義務が発生するからです」

 (ちなみに、これを『北斗の拳』に登場するケンシロウのセリフ風に言い表しますと、『俺はニセ科学批判を生まれて初めて行ったとき、すでに歴史修正主義批判者だった……』となります)

 「ゆえに、ニセ科学を批判する者は歴史修正主義の批判を余生が尽きるまで行うべきという結論になります」

 (ちなみに、これを『ドラゴンクエスト5』で使用されたセリフ風に言い表しますと、『ニセ科学批判者は、働け、働け! 自分の貴重なリソースがゼロになるまで、歴史修正主義の批判に働くんだ!』となります)

 「この考え方は、論理的に100パーセント正しい考え方です。安心して思考に組み込んでください」

 これが模範回答である。
 以上、「べき」という言葉を使ったニセ科学批判批判の、ちょっとした練習であった。

 内なる声:(ふむ、ざっとネットを見渡したところ、このような感じでニセ科学批判批判を行っている者は一人も存在しないようだ。私の一人勝ちの将来は近いわけだ、よしよし)

 (追記のメモ)
 (ニセ科学批判者たちに向かって、「あなた方は、これこれをこうすべきである」と述べた後、「ただし私自身は、これこれをこうすべきだという主張に縛られない存在だったりする。……どやっ」という感じの芸をネット上で披露している論者も、ざっと見渡したところ居ないようだ)
 (よって、この芸風をネット上で実行すれば、またしても私の一人勝ちが決まってしまうわけだ、よしよし)

2016年12月18日

「あれを批判するならば、これも批判するべきだ」という言い方に関する、ちょっとした練習です

 (「あれを批判するならば、これも批判するべきだ」というタイプのニセ科学批判批判の練習、開始)

 「ニセ科学を批判している者は、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教も批判するべきである」

 「なぜならば、他のものを批判している者はともかく、ニセ科学を批判対象に選んで活動している者は、」

 「パラレルワールドも含めた全ての宇宙空間で語られている非科学的な言説、」

 「遠い過去と遠い未来を含めた全ての時間で語られている非科学的な言説、」

 「それらを全て批判する義務がある」

 「ゆえに、ニセ科学を批判して空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を批判しない者は、駄目すぎという結論になる

 「なお、次のように反論したくなるニセ科学批判者も一部に居ると思われる」

 『そのような義務はあたくしにございませんわ』

 『そこまで仰られるのであれば……ご自身で実行して、成果を出してくだいYO!』
 『その際は、参考にしてあげるんだYO!』
 『まず、かいより始めるんだYO!』
 『カーネギーの「人を動かす」を、読むんだYO!』
 『安楽椅子からいっちょ噛みする自分を、蹴るんだYO!』
 『井戸から飛び出すカエルだYO!』
 『ROMへと消えてく私だYO!』

 『おぬしの言い分を検討してみるかの』
 『空間を【この太陽系】に限定し、時間を【50億年前から現在まで】に限るとするかの』
 『それでも、非科学的な言説は数多に存在すると容易に想像できるんじゃな』
 『ゆえに、わしの手持ちのリソースでは対処しきれん

 「これらは実行もせずに諦めている怠惰なニセ科学批判者なので、更に駄目すぎということになり、今すぐに引退を表明してネット上から消え去るべきという結論になる」

 「以上で、私の主張を終えるとする」

 「ところで、空間と時間を自在に移動して活躍しているニセ科学批判者が私の及び知らない場所に居る可能性もゼロではない

 「しかしながら、そのドクター・フー的なニセ科学批判者は私の観測範囲に居るニセ科学批判者なので、」

 「未来のほうから訪ねて参りましたと言いながら目の前に現われたとしても、」

 「私の主張に何ら影響は無く、よって私の勝利が引っくり返ることも断じて無い

 「あくまで私は、現在の地球圏のネット上で見かけたニセ科学批判者たちの言動に限定して慎ましく物申す傍観者である」

 「以上で、補足を終えるとする」

 「また論理的に正しいニセ科学批判批判を披露してしまった」

 (「あれを批判するならば、これも批判するべきだ」というタイプのニセ科学批判批判の練習、終わり)

 (ふむ、この言い方を議論の場で整然と唱えることができたならば、ニセ科学批判クラスタは一斉に唖然とするであろう。私の一人勝ちは目前だ、よしよし)

 (追記のメモ)
  (後になって事実と判明したAという陰謀論があり、そのニュースを聞いて喜び、「どうだ、これで私が過去に主張してきた客観的な根拠のないBという陰謀論は正しかったことに成るのだ、まいったか批判者たち」という言い方も、私の観測範囲においては誰一人として行っていないようだ。このネタでも私の一人勝ちが約束されているわけだ、よしよし)

2016年12月14日

ネタ話『主張は客観的な根拠が重要と述べた後に主観の論を公開して勝ったブロガー』

 そのブロガーであるAさんは、愛読者たちに向かって説教を始めました。
 「あのWELQの騒動を見ても分かるように、不正確な情報をネット上で流す行為はいかんのである」

 「そしてまた、一度のやり取りすらしたことのない赤の他人に対して、単なる印象論や噂話程度の根拠で『あの人は駄目すぎる論者だ』と安易に認定する行為も、いかんのである」

 「多くの人々から信頼される論者でありたいならば、常に客観的な根拠で物事を評しなければならんのである

 「そうすれば、意見が鋭く対立している赤の他人からも、『あなたの主張は飲み難いが、対話すること自体は満足に値する』と評してもらえる」

 「ライバルからも一目置かれる論者、それが客観的な根拠を重視する最大のメリットである」

 「理解したのならば、さっそく諸君も、『主観のみで物事を判断し過ぎた結果、自分の実力を過大評価してしまい、格下と思われる他所の論者に論争を仕掛けて論破を試みるも、逆に自分が論破に追い込まれて、【なぜだあ〜、なぜ天才の私が、こんな目に遭わねばならんのだあ〜!?】不満を述べながら消え去る芸風の論者』から脱却したまえ」

 説教を終えたAさんは、続いて「客観的な根拠で辿り着いた正しい思索」を公開しました。

 「あの『ギャラクティカ』を反対から読むと、『テイカカズラ』になる」

 「あの『カニクロス』は、『バギクロス』の一種である」

 「あのイタリア語の『バルサミコ』の意味は、『津軽富士見湖(ツガルフジミコ)』である」

 「ペンションで『おしんこ』を食すと、『シンコペーション』になる」

 「ピアノで『トロイメライ』を弾いていると、『トロロアオイ』が出現する」

 「カンタータを一曲弾いていると、『一発貫太くん』が出現する」

 「漢字の『入念』に漢字の『熱心』を足すと、未確認動物の『ニューネッシー』が出現する」

 「あの『ミニ原人の化石』の正体は、『小さいおじさん』である」

 「デスクワークをし過ぎると、部屋の片隅に未確認動物の『デス・ワーム』が出てくる」

 「橋の上で短パンと花のパンジーを持つと、『タッパン・ジー・ブリッジ』になる」

 「ホリネズミは、『ガマズミ』の一種である」

 「ガマズミは、『アーガマ』の一種である」

 「アーガマに『掘りごたつ』を足して『亀』を乗せると、『アナホリゴファーガメ』になる」

 「馬から落ちて落馬という言葉の元ネタは、ポケモンの『サーナイト』が身に着けるアイテム『サーナイトナイト』である」

 「あのエルンスト・カッシーラが贔屓にしているポケモンは、『ゲコガシラ』である」

 「プロの地質学者を目指して勉強している全ての学生は、『ミネソタの卵売り』の歌詞を、『じ、じ、じ、じ、磁鉄鉱ー。わ・た・しは・地質屋の、た・ま・ご・です』ともじって歌っている」

 「あのアニメ『起動戦士ガンダム』に登場するドズル・ザビさんは、『戦いは数だよ、兄貴!』と言うべきところを、間違って、『ニセ科学批判批判のコメントは、質より量だよ、兄貴!』と言ったことがある」

 「あの横山三国志で使用されたセリフ、『温州蜜柑でございます』は不正確な内容を含んでおり、本来は『一周遅れのニセ科学批判批判でございます』である」

 「英語の『check it out(チェケラ)』の意味は、『ヒメシャラ』である」

 「あの『お猿のかごや』の歌詞、『えっさ、えっさ、えっさほいさっさ』と『サー、イエッサー!』は趣旨が同じである」

 「あの『科学リテラシー』の語源は、『シリブカガシ』である」

 「あの天王星の衛星『デズデモーナ』の表面には、『ナズナ』がびっしり生えている」

 「あの『ラッセルの宇宙に浮かぶティーポット』は、私が置いてきた』

 「以上で、客観的な根拠で辿り着いた正しい思索の公開を終えるとする」

 すると、ニセ科学批判者の端くれを名乗るBさんが現れて言いました。
 「それらの主張に、客観的な根拠があるようには見えません。すべて、Aさんの主観に基づく主張ではないですか」
 「違うと仰られるのであれば、具体的な根拠を示してください」

 Aさんは反論しました。
 「B氏の指摘は、的外れである」
 「なぜならば、B氏のコメントは私の記事に対する共感が欠如しているからである

 「他のものを批判している者ならばともかく、ニセ科学を批判している者は、科学的になんじゃそらな主張をネット上で公開している論者と対話する際に、共感を表明して寄り添ってあげる態度が絶対条件である」

 「ゆえに、私の記事に共感を示さなかったB氏は、ニセ科学批判者として失格という結論になる

 「さらに言うならば、この私は苦労してブログの記事を書いている」
 「常に、多大な努力を注いで記事を書いている」
 「まったくの善意で、自分の内なる思索をネット上に公開している」

 「それにもかかわらず、私のブログ記事の表面的な部分のみに言及するとは何事か」
 「これだから、世のすべてのニセ科学批判者たちは駄目なのである

 「B氏は、私の記事の本文を取り上げて言及する前に、画面上には見えない背景の苦労や努力や善意に寄り添う思考を身に着けたまえ

 Aさんのブログの愛読者たちも言いました。
 「Aさんの言うとおりだ」
 「Aさんの苦労、Aさんの努力、Aさんの善意を評価することもなく、ただ書いてある文章の内容のみに注目して言及するだけに終わったB氏は、植物園に赴いて『アルメリア』の花言葉でも暗唱していろ」

 それを聞いたBさんは、嘆きました。
 「ああ、私のツッコミは世俗に届かない」
 「余計なことを考えず、ただ記事に書いている内容のみに注目して言及する私の批判スタイルは、世間受けが抜群に悪いスタイルだったのだ」

 「Aさんの苦労と努力と善意に注目して称賛する人々は、記事の矛盾を指摘した私に対して共感力を発揮してくれることはないのだ

 「しかしながら、今さら現実を知ったところで何かを変えることができるわけでもない。引退しよう」

 言い終えたBさんは、ネット上から消えました。

 すべてを見ていた他のニセ科学批判者たちは、感想を述べました。
 「あのA氏のブログ記事にツッコミを入れても、自分が消耗するだけだ。沈黙を保っていたほうが良い」

 それ以降、Aさんのブログにツッコミを入れる人は現れませんでした。

 そのためにAさんは、「主張は客観的な根拠が重要だと読者たちに説教した後、自分自身は主観を根拠にした論を語る」という芸をネット上で存分に披露し続けることができました。

 以上、「主張は客観的な根拠が重要と述べた後に主観の論を公開して勝ったブロガー」というお話でした。

 (この記事は、次の「はてなブックマーク」にインスピレーションして作りました)
 はてなブックマーク - 「他人に共感できない人々」がインターネットを回す - いつか電池がきれるまで

 (以下、印象に残った御方のコメントを引用しておきます)
 lady_jokerさんのコメント
会ったこともない診断したこともない人を二次情報でサイコパス認定しときながら、他人がいい加減な医療情報を垂れ流すことには憤るとは矛盾も甚だしくないかい

 ieyasuchanさんのコメント
病気ではないサイコパスという病名を、心理の専門家ではない人が他人に被せるのはWELQがやっていたことと大差がないような…

 toratsugumiさんのコメント
そうですか、他人に共感してたら水素水もEM菌もなんたら酵素もネズミ講もオレオレ詐欺もやりませんか。某DeNAあたりはきっと社員の30%くらいがサイコパスなのだな。安易に結論出し過ぎてて論外

 kei_miさんのコメント
「身内に甘くそれ以外には冷酷」なのはサイコパス持ち出さなくても普遍的に存在する性向のような。ただ現在、それを表明し行動するハードルは下がってると感じる。(人類の生存戦略に反してるけどね…)

 supu6000さんのコメント
共感力最強!と思ってる人は、「自分と同じ考えじゃない人は、異端者で頭がおかしい」と思ってる共感力の低い我儘な人

 tukirouさんのコメント
他人の感情に深く共感できる人たちが誰かの攻撃的・破壊的な感情に激しく共鳴したとき、大変なことになってしまうわけで。必ずしも共感できるかどうかがその時々において良いこととは限らないし、逆も然り

 traveler-hideさんのコメント
「共感」というのも意外と危険だと思う。共感というのは、それ程思考が伴わない場合があるからだ。行き過ぎると、言っている内容よりも、誰が言っているのかを重要視してしまうこともあるので注意が必要
ラベル:他山の石

2016年12月08日

『ニュースの社会科学的な裏側』様の記事の追記の部分から「ニセ科学批判」が成立しない場合を学ぶ

 次のはてなブックマークを発見した。
 NOV1975 のコメント - はてなブックマーク
 はてなブックマーク - ネタ帳
 はてなブックマーク - はてなブックマーク - ネタ帳

 「なんのことか、一つも分からない」と思いつつ、次の記事を読んだ。
 『優生学と言うよりは優生思想だから、疑似科学批判はできない ニュースの社会科学的な裏側

 「なるほど、そのような話題がネット上の一部で起きていたのか」と思いつつ読んでいた私だが、次の部分が気になった。(以下、引用)
 >追記の内容に対して、
 >優生学を自然科学としている事は偽科学になるのだから偽科学批判の対象になりうると言う趣旨のコメントをもらったのだが、
 >優生学を自然科学としているのは擁護者ではなく批判者になるので、
 >擬似科学批判者批判になってしまう

 つまり、こういうことらしい。
 ・「優生学は自然科学である」という主張をニセ科学と看做して批判しても、
 ・「優生学は自然科学である」と主張している人自身が「ニセ科学に批判的な立場の人」だった場合
 ・「ニセ科学批判」というものにはならず、
 ・「ニセ科学に批判的な立場の人批判」というものになる

 NOV1975さんは「主張の内容そのもの」について語り、一方で『ニュースの社会科学的な裏側』様は「主張している人の立場」で反論しているところが面白い。
・・・・・
 ちなみに私の場合、NOV1975さんの主張は次のようなものと解釈している。
 『「優生学は思想や運動ではなく自然科学である」という主張はニセ科学であり、ニセ科学批判の対象に値する』

 この主張に対して素直に反論する場合は、次のようなものになる。

 『いや、「優生学は思想や運動ではなく自然科学である」という主張は、ニセ科学とはいえない』
 『よって、ニセ科学批判の対象に値しない』

 このような反論をもらったNOV1975さんは、素直な再反論を速やかに準備できるだろう。

 ところが、
 『今回の話題の中で、「優生学は思想や運動ではなく自然科学である」と主張している人自身は、「ニセ科学を批判している立場の人」であり、「ニセ科学を擁護している立場の人」ではない』
 『よって今回の場合、「優生学は思想ではなく科学である」という主張をニセ科学と看做して批判しても、「ニセ科学批判」にはならず、「ニセ科学批判者批判」になる』

 という反論をもらった場合、NOV1975さんは次のようなリアクションを見せるだろう。
 『そのように、ニセ科学批判者批判になると仰られても、』
 『「優生学は思想や運動ではなく自然科学である」という主張が、ニセ科学批判の対象に値することに変わりはないわけですが、』
 『なぜに「擁護している立場の人」だとか、「批判している立場の人」などと、主張する人の立場の話が出てくるのでしょうか?』

 こうしてNOV1975さんは素直な再反論ができず、その後は「ニセ科学批判になる」「いや、ニセ科学批判者批判になる」という議論に終始するのである。
・・・・・
 今回の『ニュースの社会科学的な裏側』様の記事の追記の部分は、常勝のニセ科学批判批判を探求している私にとって大いに参考となった。
 読者様も、
 『誰某が主張している○○は、科学ではなくニセ科学である。よって、○○はニセ科学批判の対象に値する』
 と述べる論者の姿をネット上で目撃した際は、次のように言ってあげよう。

 「はい、私も○○はニセ科学だと思います」
 「しかしながら、その○○を主張している人の過去の発言を調べたところ、」
 「その人自身は『ニセ科学に肯定的な立場の人』ではなく、『ニセ科学に批判的な立場の人』でした」
 「ゆえに、その人が主張している○○をニセ科学として批判しても、『ニセ科学批判』にはならず、『ニセ科学に批判的な立場の人批判』になってしまうのでした」

 または、次のように言ってあげても良い。
 「その○○を主張している人自身は、『ニセ科学に肯定的な立場の人』ではないぞなもし」
 「ニセ科学蔓延問題についての議論がネット上の片隅でホットになっていることすら知らず、『今日のランチはパスタ♪』という趣旨の記事ばかり書いている『ごく普通の一般ブロガー』ぞなもし」
 「ゆえに、その人の○○という主張をニセ科学として批判しても、『ニセ科学批判』にはならんぞなもし」
 「『ごく普通の一般ブロガー批判』になってしまうんぞなもし」

 あるいは、 次のように意見しても良い。
 「その○○を主張している人自身は、『ニセ科学に肯定的な立場の人』ではありませんわ」
 「『公平無私の第三者を名乗った後で私怨的なニセ科学批判批判をブイブイ云わしてくる人』ですわ」
 「ゆえに、その人の○○という主張をニセ科学として批判しても、『ニセ科学批判』にはならないのですわ」
 「『公平無私の第三者を名乗った後で私怨的なニセ科学批判批判をブイブイ云わしてくる人批判』になってしまうのですわ」

 このように、「主張の内容そのもの」と「主張している人の立場」の二つをごっちゃにして語ってあげると、
 「いや、○○という主張はニセ科学ではない。よって、ニセ科学批判の対象に値しない」
 という素直な反論が来ると思ってワクワクしていた相手は、
 「うん……。えっ」「いま、私は、何に対して、反論、されたのかしら?」
 という感じでフワフワしたリアクションを見せてくれる。

2016年06月12日

pririn_氏のツイートから学ぶ「ニセ科学批判者達に5連勝する方法」

 次の記事を発見した。
 はてなブックマーク - 眞葛原雪(主権在猫)さんはTwitterを使っています ニセ科学批判派の方達は宗教も含めて精神世界を全部押し流せば解決すると思っているけれど、そ

 読み終えた私は、「ニセ科学批判者達に5連勝する方法」を思いついた。以下にメモしておく。
 ・まずは、Aさんが次のように主張する。
 『ニセ科学批判者達は、精神世界を押し流すことでニセ科学問題を解決できると考えている。これは、駄目な考え方といえる』
 『なぜならば、【精神世界は強靭だからして柔なニセ科学批判者達が押し流すことなど叶うはずもない】という判断を私が下しているからである』
 『よって、ニセ科学批判者達が懐いている【精神世界を押し流すことでニセ科学問題を解決できる】という考え方は、明らかに誤っていると結論できてしまうのだ』

 ・それを聞いたニセ科学批判者達から、次のような質問が来る。
 『そのような考えを持つニセ科学批判者とは誰のことか? 具体名を教えてほしい』
 『もちろん、【個別に名を挙げることはできない。私の観測範囲に居たニセ科学批判者達の全体的な言動から想起して仕上げた印象論である】という言葉が返って来ないことを我々は信じている』

 ・Aさんは次のように答える。
 『先ほど私が披露した主張は、【諸君の活動を全体的に眺めているうちに仕上がった印象論】である』
 『ところで、【ニセ科学批判者達は精神世界を押し流すことでニセ科学問題を解決できると考えている】という思いを私が懐いたことは、事実である』
 『この事実に対して、諸君が文句を言うとは何事か』(1勝目)

 『また、他のものを批判している者ならばともかく、ニセ科学というものを批判対象に選んで活動している諸君は、傍観者である私の言うことを真実として無批判に受け止める義務がある』
 (注:この私はそんじょそこらのひよっこな傍観者ではない)
 (数十年にわたって、世俗に住む諸君のニセ科学批判活動を遠き深山の頂きから眺めている、ベテランの傍観者だったりする)

 『それにもかかわらず、「具体例を教えてほしい。仰るようなことが事実として本当に在ったことなのか知りたいので」などと、私の主張を疑って検証を始めるとは何事か』(2勝目)

 『そのように諸君が執拗に裏を取りたがる姿勢を見せるからこそ、【この宇宙空間で活動する全てのニセ科学批判者達って駄目な考え方を持っている人達ばかりなんだよね〜】と私に評されてしまうのである』(3勝目)

 『というわけで諸君は、【いつの間にか自分の心の中で仕上っていた印象論を実際の世界で起きた出来事であるかのようにネット上で言い表す行為】が結果的に他のそこそこまっとうなニセ科学批判者達に迷惑を掛けているという現実を直視したまえ』(4勝目)

 『以上で、迂闊な言動に迷った諸君を正解に導いてあげた私の説教は終わりとする』(5勝目)
・・・・・
 このように述べると、あなたは5つの勝利を収めることができる。

 しかしながら、「いいえ、5連勝どころか、自分の発言の信用が低下する一方なのですが……。この方法を実践しても、大いなる失敗しか待っていないのでは?」という疑念が生じた読者様も一部に居ることだろう。

 その場合、『四方八方にドヤ顔を見せつつ、議論の場から一人悠然と立ち去る』という行動をオプションするとよい。

 これを目撃した聴衆は、「あの御方は、我々の及び知らない何かに対して完全勝利を収めた孤高の論者様だったのだ」という感じの評を呈してくれる。

 以上、『pririn_氏のツイートから学ぶ「ニセ科学批判者達に五連勝する方法」』であった。
ラベル:善意で解釈

2015年12月20日

ネタ話『宇宙一酸っぱい葡萄を頬張った後で勝利を確信した者』

 ある村の外れに一本の木がありました。村人達は、その木を「宇宙一酸っぱい葡萄がなる木」と呼んでいました。

 その噂を聞きつけた逆張り芸の論者であるAさんは、さっそく村を訪れて演説しました。
 「諸君は、宇宙一酸っぱい葡萄だと主張しているが、事実は逆であり、宇宙一甘い葡萄である。それを私が今から証明する」

 Aさんは、「宇宙一酸っぱい葡萄がなる木」から葡萄の房をもぎ取って頬張りました。
 しばらく悶絶した後、Aさんは言いました。「グホッ、このとおり、私は食べきった」
 「よって、諸君の主張は間違いであり、宇宙一甘い葡萄だと結論できる」
 「違うというのならば、なにがどう違うのか指摘してくれたまえ」

 村人達は、ライオンキング風の言葉で感想を述べました。「こんなに近くで逆張り芸を見たのは、初めてだ!」

 それを見たAさんは、「反論する者が一人も現れない。この私が具体的に証明してみせたことに、ぐうの音も出ないのだ」と満足して村を離れました。
 以上、「宇宙一酸っぱい葡萄を頬張った後で勝利を確信した者」というお話でした。

 (このネタ話は、以下の「はてなブックマーク」を読み終えた際にインスピレーションして作りました)
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/takahirominfuna/status/507879922468020224
 (高橋宏氏による当時の主張から一部を引用)
 >ニセ医学が本物で、本物だと思っていたものがニセ医学だ!!