2015年12月20日

ネタ話『勇んでニセ科学批判ブログに乗り込んだ悪しき相対主義の初心者』

 その悪しき相対主義の初心者であるAさんは、興奮して言いました。「とうとう僕は、悪しき相対主義の芸風を身に着けたぞ!」
 「というわけで、さっそく常勝の道のりを歩み出すぞ!」

 勇みの気持ちが高ぶったAさんは、たまたま目に付いたブログに乗り込んで論争を仕掛けました。
 しかしながら、そのブログにはマジレスを第一とするニセ科学批判者達が居たのでした。

 意に反して防戦一方になったAさんは、「曖昧で抽象的で、どうにでも解釈できる主張で構成されたバリア」を張りました。
 ニセ科学批判者達は、逐一のマジレスでバリアを消滅させていきました。

 追い込まれたAさんは、後釣り宣言を行いました。「一見すると僕の完全な負けに見えるかもしれないが、これは予想通りの結果なのだ」
 「僕は、あることを検証するために、わざとツッコミどころ満載の主張を行ったのだ」
 「では、そのあることとは?」
 「それは、今は明らかにする時ではない」「その時が来ました!……と僕自身が判断した際に、その意図を明らかにしてあげよう」「というわけで、君達はその日を楽しみに待っていてくれたまえ」

 後釣り宣言を終えたAさんは、「やった、これで議論は僕の逆転勝ちで終わった」と言いました。
 ニセ科学批判者達は、「なるほど、確かに予想通りの結果です。過去に幾多の悪しき相対主義者と遣り取りした経験を持つ我々にとっては、毎度お馴染みの展開です」と言いました。

 その様子を全て見ていたベテランの悪しき相対主義者は、感想を述べました。
 「言っておくが、悪しき相対主義の芸風を選択した論者ならば、世俗から離れた深い森の奥に居を構え、狭い書斎の真ん中に安楽椅子を設置して深く座り、飲み物を片手にネットの画面に向かって次のような台詞を放つべきなのだ」
 
 例:『はい、いついかなるときも、私は中立の傍観者でございます』
 『はい、皆様が騒いでいらっしゃるニセ科学とマトモな科学についても、相対的に見れば同一なのでございます』
 『はい、皆様の下界で行われている議論を遠くの高みから俯瞰していた私による中立の最終結論でございます』

 「以上のような台詞を述べて、聴衆からの、『それで何を主張したいのか、一つも分りませんが……』という疑問の声を受け流し、『しょせんはニセ科学問題など他人事です』という態度の維持に努めて、ニセ科学的な説に振り回されている世俗に向かってのんびりと物申す日々を送るべきなのだ」

 「それにもかかわらず、『悪しき相対主義を自在に操れる僕は、ネット上で一番の天才だっ!』などと吹け上がり、こともあろうにニセ科学批判者達が集う場所に乗り込んで論争を仕掛け、楽に勝てると思って余裕を見せていたものの、気がついたときには退路がゼロという立ち位置に押し込まれて、『なぜに僕が……天才の僕が……こんな目に遭わなければいけないんだあっ!?』とうろたえて、それを見ていたROM達からは、『悪しき相対主義者らしい、惨めな負け方だ』と評されて、せっかく積み上げていた自分の高いプライドを木っ端微塵に帰するとは、あの悪しき相対主義の初心者はアミバ様の轍を踏んでいるのか?」

 『教訓:この話は、現時点における自分の悪しき相対主義の能力をよく見極めたのちに他所の議論の場に赴くべきだということを教えています』

 (このネタ話は、invasivespeacieさんによる次のツイートにインスピレーションして作りました)
https://twitter.com/invasivespeacie/status/550897217909706752
 >だからクマはお前らのペットじゃないんだよ
 >ぶつかると事故るから住み場所を分ける必要があるのに、わざわざ相手の住処に突っ込むとかアタリ屋か

2015年12月13日

kasoken氏のツイートを読み終えた後で「常勝のニセ科学批判批判の道とは如何なるものか」と考える

 ある日、私はkasokenさんによって公開された次のツイートを発見した。
https://twitter.com/kasoken/status/614423734997225473
 (以下、引用)
 >科学ライターや科学コミュニケータ(人によってはSTSも)が震災や原発の直後に「役に立っていないから反省しろ」と言う人、未だにいるんだな
 >「科学」とやらで、何でも解決できると思っているのでしょうか

 読み終えた私は、次のような感想を持った。「前半の部分は、日本語として摩訶不思議な仕上がりになっているために、今ひとつ意味が読み取れなかった」
 「それはともかく、どうやらkasokenさんは、『科学とやらで何でも解決できる』という趣旨のツイートを目撃して憂いを持ったらしい」
 「確かに、『科学で何でも解決できるのだ!』と言われたら、この私でも『そんなわけないでしょ!』とツッコミを入れたくなる。kasokenさんの憂いは理解できる」

 その後、次の「はてなブックマーク」を発見した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kasoken/status/614423734997225473
 (以下、引用)
 『ublftboさん』
 >言及先:“どう「科学」を伝えていたか反省されることはあるのかしら。” 
 >内田要約:“「役に立っていないから反省しろ」と言う人、未だにいるんだな。”
 >どう認識したらこうなる?

 読み終えた私は、首を傾げた。「一体、どういうこと? もしや、kasokenさんが誤読に基づく的はずれな解釈をツイッター上で披露したってこと? そして私は、そのkasokenさんの的はずれな解釈を鵜呑みに信じてしまったってこと? なにがなんだか、にゃんだーかめんです?」

 悩んだ私は、真実を確かめるべく大元であるsyoyuriさんのツイートを読んだ。
https://twitter.com/syoyuri/status/613690421726674945
 (以下、引用)
 >2011年4月25日のツイートに今になってあれこれ言う方がおられるようだけど
 >科学ライターやコミュニケーターを名乗るひとたちは、まだ震災そして原発事故の混乱のさなかだった当時にどう「科学」を伝えていたか反省されることはあるのかしら

 なるほどである。ublftboさんの疑問は、一理ある。kasokenさんの分は悪い。
 しかしながら、次のような釈明の仕方を実行するとkasokenさんの分は良くなると思われる。

 釈明の例:「言っておくが、syoyuriさんのツイートを読んだ直後の私は、『ほう。科学で何でも解決できると申すか。なんとも単純な考え方よのう。この世は複雑怪奇だから科学だけでは解決できるはずもなく、ゆえに多角的な視点で世間に物申す視野の広い論者であるべきよのう。この私のように』と思ったのである。これは、事実である」
 「この事実に対して文句を述べるとは、何事か? これだから、世の全てのニセ科学批判者達は駄目なのである」

 このように述べると、勝ったことになる。

 読者の皆様も、「なぜに、そのような的外れな認識になるの? 反論するにしても、相手の主張の中身をちゃんと捉えてから反論したほうが良いのでは?」と疑問を呈されて議論の分が悪くなった際は、「相手の主張を聞いた直後の私は、そのような的外れな認識を持ったのだ。これは事実だ。この事実に文句を言うとは何事だ」という感じの釈明を披露してあげよう。議論の逆転勝ち、もしくは最低でもイーブンには持ち込める。

 もちろん、そのようなあなたの姿を見た聴衆の大半は、「どういう開き直り方やねん……。苦しい言い訳にも、程がありますやんっ」というリアクションを実行して立ち去るだろう。
 しかしながら、自分と同じく「世の全てのニセ科学批判の活動に懐疑的な立場」の人達からは、次のように受け止めてくれるだろう。
 「うむ、それでいい。あなたの釈明の仕方には、何らの問題もない」
 「悪いのは、あなたを的外れな認識に導いたニセ科学批判者のほうである」
 「今回の件は、世のニセ科学批判者達の『科学的に明らかに間違っている主張をネット上という公の場で肯定的に述べることは良くない』という狭量的な主張を日々聞かされて苦々しく思っていた我々の溜飲を、大いに下げてくれた」
 「いや、本当に久々に胸がすっとしたのだ。実は、その点が一番の収穫だったりする」

 なお、その際に、「このような勝ち方は虚しいだけだ。素直に、自分の認識が間違っておりましたと表明したほうが良いのだ。それ以上の信用低下をくいとめることができるのだ」などとは、絶対に考えてはいけない。
 そのような考え方は、常勝のニセ科学批判批判の道から外れる行為なのである。

2015年12月06日

discusao氏のツイートから常勝のニセ科学批判批判を学ぶ

 ある日、私はdiscusaoさんによる次のツイートを発見した。
https://twitter.com/discusao/status/671688752415137792
 (以下、引用)
 >「意図が伝わるように言い換えた」ということが真であるとして、であるならば、最初の発言は「意図を誤らせるような発言」であった、すなわち突っ込まれても仕方ない瑕疵があった、ということ
 >@hindu_kush420さんが怒るのも無理ない

 読み終えた直後の私は、次のような感想を持った。
 「ええと、その場合、元のツイートを読んだ時のhindu_kush420氏は、NATROMさんの意図を理解できていないかのようなリアクションを披露した、それを見たNATROMさんは、『賛同してくれるか否かはともかく、ワシが言っていることの中身くらいは、ちゃんと捉えて理解して欲しいものよのう』と思った、だから言い換えのツイートを書いて公開したのだ……ということではないのかしら?」
 「この読み解き方が事実に近いと私は思うのだけれど、なぜにdiscusaoさんは『意図を誤らせるような発言』とか、『突っ込まれても仕方ない瑕疵があった』などと仰ったのかしら?」

 このように悩んでいた私であったが、関係する「はてなブックマーク」を読み終えた後で自分の読み解き方が間違っていることに気がついた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/discusao/status/671688752415137792
 (以下、引用)
 『NATROMさん』
 >勝手に誤読しておいて、「いやそれは〜ということですよ」と相手が説明し直したら、「突っ込まれても仕方ない瑕疵があった」とみなせる最強メソッド
 >みたいな

 『NOV1975さん』
 >俺の誤読はお前のせい、お前の誤読はお前のせい感ある

 なるほどである。その時のdiscusaoさんは、NATROMさんとの議論に勝つためのツイートをネット上に公開していたのである。
 これは迂闊であった。事実に近づこうとする読み解き方ではなく、「常勝のニセ科学批判批判」という観点からdiscusaoさんのツイートを読み解くべきだったのだ。
 おかげで私は、悩んでいた分の時間を無駄に消費してしまった。なんたる不覚である。

 とはいえ、幾ばくかの救いはある。なにしろ、このことに気がついていなければ、今頃は、
 「discusaoさんのツイートを読みましたが、意図がさっぱり伝わって来ませんでした。どうやら、discusaoさんのツイートは意図を誤らせるようなツイートになっているようです」
 「ゆえに、discusaoさんのツイートには突っ込まれても仕方がない瑕疵があることになります」
 「そういうわけですから、はてなブックマークに批判的なコメントが付けられることにも無理はないですよね」
 などという、完全に的外れなリアクションを実行するところであった。いや、危ないところだった。

2015年10月25日

shsk_suzukiさんのツイートから常勝のニセ科学批判批判への道を模索する

 ある日、私は次の二つの記事を発見した。
https://twitter.com/shsk_suzuki/status/657588802320371712
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/shsk_suzuki/status/657588802320371712

 気になった点を以下にメモしておく。
(shsk_suzukiさんのツイートより引用)
 >身体の事を調べていると、一見すると「スピリチュアル」なものに接近する

 私:「ふむふむ、この部分はshsk_suzukiさんの個人的な体験談のようだ」

 (shsk_suzukiさんのツイートより引用)
 >というか、そうレッテルを貼られているものこそ実は科学的だったりする

 私:「ふむふむ、この部分はshsk_suzukiさんの主観を語っているようだ」

 (shsk_suzukiさんのツイートより引用)
 >ニセ科学批判の奴らの馬鹿さ加減がよく分かる

 私:「ふむふむ、この部分はshsk_suzukiさんの価値観を語っているようだ」

 (shsk_suzukiさんのツイートより引用)
 >あいつら絶対スポーツ出来ないよ

 私:「ふむふむ、この部分はshsk_suzukiさんの推測を語っているようだ」

 (shsk_suzukiさんのツイートより引用)
 >身体と向き合わないから

 私:「ふむふむ、この部分はshsk_suzukiさんの推測の根拠を語っているようだ」

 私:「このshsk_suzukiさんのツイートを私にとって分かりやすいものに整理すると、以下のような感じになるだろうか?」

 ・……自分は身体のことに興味を持って色々な情報を調べているのだが、ときには世間から「スピリチュアル」と呼ばれている情報を目にすることがあったりする
 ・その世間から「スピリチュアル」と呼ばれている情報についてだが、自分は科学的な情報に思えた
 ・よって、ニセ科学批判者達は馬鹿な者達だといえる

 ・なぜならば、『世間から「スピリチュアル」と呼ばれる情報』を、自分は科学的な情報に思えたからである
 ・『世間から「スピリチュアル」と呼ばれている情報』を科学的な情報に思えない者は馬鹿だといえるし、それにぴったり当て嵌まるのがニセ科学批判者達だったりする

 ・ちなみに、「ニセ科学批判者達は絶対にスポーツが出来ない者達である」という結論も、同時に導き出すことができる
 ・なぜならば、『世間から「スピリチュアル」と呼ばれる情報』を科学的な情報に思えた自分は、身体のことについて向きあっているからだ。つまり、
 『身体のことについて向きあっている者ならば、絶対にスポーツが出来る』
 『ニセ科学批判者達は、身体のことについて向きあっていない』
 『ゆえに、身体のことについて向きあっていないニセ科学批判者達は、絶対にスポーツが出来ない』
 ・この結論は、自分の主観に合っている結論だし、論理的にも正しい結論だといえるだろう

 ……なるほどである。
 前フリとして、「個人的な体験談」を披露し、次にメインの「ニセ科学批判批判」を実行し、その根拠として「主観による推測」を提示して締めくくる……という方法で、世の全てのニセ科学批判者達に勝ってしまったのだ。
 これは良い方法を知った。今後の参考にしておこう。(とはいったものの、この方法にはどこかに大きな穴がありそうな気がしてならないのだが、その解決は未来の事とする)

2015年01月18日

sivad氏のツイートから思いついた「うわあ……」という言葉でニセ科学批判者達に勝つ方法

 ある日、私は次のツイートを発見した。
https://twitter.com/sivad/status/554113249067544577
 (以下、引用)
 sivad氏
 >うわぁ…

 なるほど、その時のsivad氏は「うわあ…」と思ったのだなという感想を懐きつつ、次の「はてなブックマーク」を読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/sivad/status/554113249067544577
 (以下、引用)
 NATROM氏
 >「うわぁ」とか「うへぇ」とかいう言葉だけつけて具体的な反論がないのか、具体的な反論ができないからだろうか

 これを読み終えた私は、「うわあ……」という言葉でニセ科学批判者に勝つ方法を思いついた。以下にメモしておく。

 ・まずは、ニセ科学批判的な記事を読む。
 ・そして、次のような言葉を発する。「うわあ……」「うへえ……」「うぼあ……」「うれえろお……」

 ・すると、ニセ科学批判者達が現れて次のように述べてくる。
 「具体的な反論がないようだが、次のような理由によるものだろうか?」
 『正面からはマトモに反論できないが、それとなく溜息をつくことで相手の主張こそが間違っているのだと読者達に印象付ける作戦を思いつき、それを実行した』

 「または、次のような理由があるのだろうか?」
 『とっくに具体的な反論は用意できている。しかしながら、今は発表する段階ではないと考えている。よって具体的な反論は一切述べず、ただ仄めかすのみである』

 「どちらにしても、結果的に無意味なコメントになっていることには違いがない」
 「今からでも具体的な反論を述べて有意義な議論の形成を目指せばよろしかろうと思われるが、いかがだろうか?」

 ・それを拝聴した上で、次のように述べる。
 「先ほどの私は、自分の心に生じた言葉をそのままネット上に表したのである。これは事実である。この事実に文句を言うことは、誤りである」
 「しかも私は、『うわあ…』『うへえ……』『うぼあ……』『うれえろお……』という中立的な言葉を述べたにすぎない」
 「この中立的な言葉を、『ニセ科学批判的な記事に対する反論の言葉に違いない』と決めつけることは誤りである」
 「性急な決めつけは避けて、『反論を意図した言葉かもしれないし、反論を意図した言葉ではないのかもしれない。たとえば、隙のない正論を目撃して深く感じ入ったゆえの、賛嘆の言葉かもしれない』という感じで多角的に受け止めるべきである」

 「このようにして諸君は、二重に的外れなツッコミを私に送ってしまったのである」
 「それもこれも、『とにかく目の前の議論に勝ちたい!』という気持ちが強すぎたり、『とにかく勝っている自分を演出したい!』という気持ちが強すぎたことが原因である」
 「そのような諸君の虚栄心から生まれた的外れなツッコミに私は大きな迷惑を感じるが、哀れといえば哀れな姿である」

 このように述べると、勝ったことになる。

 なお、「うわあ……」「うへえ……」「うぼあ……」「うれえろお……」という言葉を使用して議論の勝ちを目指すことに戸惑いを覚える御方は、自分なりに使いやすい言葉に変えても良い。
 たとえば、筋力トレーニングに嵌っている御方の場合、「あーむかーる……」「くらんち……」「でっどりふと……」という言葉を使用して議論の勝ちを目指しても良いし、「ぎゃばっ」「へむてつっ」「ぶろっこ、りっ?」という言葉で議論の勝ちを目指しても良い。

 この例に限らず、各々が自分なりの「うわあ……」な言葉で議論の勝ちを収めよう。
 以上、「sivad氏のツイートから思いついた『うわあ……』という言葉でニセ科学批判者達に勝つ方法」であった。

2015年01月14日

renho39氏のツイートから「それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判」を思いつく

 ある日、私は次のツイートを発見した。
https://twitter.com/renho39/status/553844947074310144
 (以下、引用)
 renho39氏
 >パイロゲンとかπウォーターってなんでニセ科学叩きの標的にされてないんだろう?
 >ってお寿司屋さんのレジ前に置いてあるパイロゲンを見て思った

 「なるほど、それを批判するニセ科学批判者は今まで存在していなかったのか」と思いつつ、これに関する「はてなブックマーク」を読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/renho39/status/553844947074310144
 (以下、引用)
 ublftbo氏
 >πウォーターなんてだいぶ前から採り上げられてるのにね(天羽さんが採り上げたのはもちろん、左巻さんの本にもある)
 >自分の見た範囲を世界だと思っちゃいけないですね

 これを読み終えた私は、必ず勝利を収めるニセ科学批判批判の仕方を思いついた。以下にメモしておく。

 ・まずは、「私は○○というニセ科学的なものを某所で見かけたことがある。そして私は、この○○を取り上げて批判するニセ科学批判者を知らない」と述べる。

 ・次に、「よって、世の全てのニセ科学批判者達は○○を取り上げて批判したことがないと言える」と述べる。

 ・その後、「その○○を批判するニセ科学批判者は、少なくとも一人以上は居るようです。ちょっとネットで調べたら、○○を批判している御方の記事を見つけることが出来ました」という読者が現れる。

 ・それを拝聴した上で、「その程度の批判の量では全く不足だと私は主張していたのである」と述べる。

 ・続けて、「しかもこの私が、○○を取り上げて批判するニセ科学批判者を知らなかったことは事実である。この事実に向かって文句を言うことは、全くの的外れである」と述べる。

 ・そして最後に、「というわけで今から世のニセ科学批判者達は、この私が不足ではないと判断する量に達するまでの批判を行ってくれたまえ」と言ってあげる。

 こうして勝利を収めることができた。

 読者の皆様も、「ところで○○は明らかにニセ科学的な代物なんだけれど、この○○を取り上げて批判するニセ科学批判者の姿って見ないよね。なぜにニセ科学批判者達は、○○を批判しようとしないんだろうね?」と述べる論者をネット上で目撃した際は、「それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判を開始したようだ」と思いつつ眺めてあげよう。

 しばらくすると、次のような感じで勝利宣言する論者の姿を見ることが出来る。
 「私の発言に対してドヤ顔でツッコミを入れる読者が現れたんだけれど、私が言っていた事はそういう意味じゃないんだけれどね」
 「まあ、目の前に表示されている文章にしか注意を向けない読者に私の真意を正確に汲み取る事は無理だろうから、的外れなツッコミを送ってきたことも分かるんだけれどね」
 「そうやって性急なツッコミを入れる前に、批判対象について詳しく知ろうとする努力を行って欲しかったかな」

 以上、「renho39氏のツイートから『それを私は知らないと述べた後で勝利を収めるニセ科学批判批判』を思いつく」であった。