2016年12月31日

ネタのお言葉『冬のdisはつとめて。雪が降りたる間のdisは言ふべきにもあらず』

 この言葉は、あの清少納言がネット上の罵倒芸について述べた言葉である。

 【意訳】
 冬のdisは早朝が良い。雪の降るさまを眺めながらネット上にdisを呈する楽しみは、言うまでもない。

 霜が通常の三倍ほど白く見えるときは、私のdisの頻度も通常の三倍となり、またそうでないときも通常の三倍でdisる。

 読者たちの反応が寒いときは、炎上の成分がより多い文章を9.58秒で仕上げる。

 神経を逆撫でする内容のコメントを完成させ、私の書斎から読者たちの茶の間に届ける作業は、肌がひりひりとする冬の早朝にぴたりである。

 昼になって書斎の寒さが少しずつ和らいでいくと、私の毒舌も少しずつ和らいでいく。

 そうなると、盛んに炎上していた私のブログも冷めてしまい、慌てて新たなdisのコメントを投稿してブログの熱を保とうとするも、慌てすぎて自分自身をdisる内容のコメントを投稿してしまった。

 これはまさに、キャンプ地に赴いて「私は焚火の経験があるベテランだ」と言いながらキャンプファイヤーを実行するも、
 意外とすぐに消えそうになったので、慌てて桧の薪を投入しようとしたところ、間違って杉の薪を投入してしまい、
 爆ぜた熾きが自分に向かって飛んで来た時と同じ状態であった。
 【意訳終わり】

 このような事があったと清少納言は枕草子に書いている。

2016年12月30日

ネタのお言葉『炎上後のdisログは日に以って疎し』

 この言葉は、あの「去者日以疎」を作った無名氏が呟いた言葉である。

 【なりたち】
 あるdisブログの主が、よそで起きている話題に向かって好き放題にdisを発していたところ、一読者から諌められた。

 そこでブログ主は、筋道立てて反論するというリアクションを選択せず、逆切れ嘲りで返すというリアクションを選択した。

 すると、その他大勢の読者が現れて批判のコメントが殺到し、ブログ主は後釣り宣言で即答し、それまでの主張を無かったことにして知らん顔した。

 それを見た人々は、「あのブログ主が発する言葉を真面目に取り上げても、自分の時間を無駄に消費して終わるだけだ」と判断した。
 それ以降、信用に疑問符が付いたdisブログを訪れる者は一人もなく、ブログ主自身も飽きて管理を放棄した。

 数百年後、無名氏がブログ跡を訪れた。
 炎上していた昔の面影も無いさまを見て呟いた言葉は、「炎上後のdisログは日に以って疎し」だった。

 【呟きの全文】
 炎上後のdisログは日に以って疎し

 炎上時に来ていたROMたちは そろって他所のログに移って和みし

 今に私が関心を懐いて過去ログを熟読すれば

 ただ紛糾の跡を知るのみ 

 反故的な芸を続けたブログ主の言は 廃れてあくたとなり

 追い込まれて発した勝利の告白は かえって炎上用の薪と化す

 自己フォローとして吐く言葉は ひたすら誤謬が多い

 それでも 「僕は間違ったことを言ってないもんね〜」
 「間違いだと指摘する君たちのほうが 間違っているんだものね〜」という飄々とした態度に終始し

 ついにROMらを撤収に至らせる

 ここまで過去ログを読み進めた私は ブラウザの閉じるボタンの押しを思う

 押してあげようかしらんと思えども またdisの過去ログを読む私なり
 【呟き終わり】

 こうしてdisブログの跡を眺めながら呟いた無名氏は、のちにこの呟きを下敷きにして「去者日以疎」を作ったのである。

「もしも漫画の『北斗の拳』に登場するクラブさんが、村人に向かって『ダメなAとダメなBのどちらか一方を選べ』と質問していたら」と考えました

 ナレーター:「その村人が運営するブログは、クラブさんに発見されました」

 クラブ:「見つけたぜ〜、獲物だぜ〜

 村人:「な、なんですかあなたは? 私の記事に、難癖でもつける気ですか?」

 クラブ:「ふっふっふ、」

 クラブ:「言っている内容そのものは正しいが、態度が悪辣で不遜な論者のAと、」

 クラブ:「言っている内容そのものは正しくないが、態度が温和で優しい論者のB、」

 クラブ:「どちらか素敵な論者と思うか、」

 クラブ:「お前の好きなほうを選べ

 クラブ:「どちらを選んだとしても、答えてもらったこと自体に俺は満足して帰り、結果、お前のブログは修正されないで済む」

 クラブ:「と言っているんだぜ?

 村人:「いや、『と言っているんだぜ』と仰られても、いま初めて聞きましたが……」

 クラブ:「いいから、さっさと答えるんだ!」

 村人:「は、はい」

 村人:「ええと、どっちが私にとって、比較的マシな論者といえるんだろう?」

 村人:「あ、決めました、どっちもダメな論者と思いますが、あえて選ぶならば、Bの論者です

 村人:「たとえ、言っていることの内容が正しくなくても、態度が温和な論者と対話するほうが、私には心地よいです」

 クラブ:「そうか、お前はBの論者を選ぶんだな、よしよし」

 クラブ:「お前の言うとおり、態度の優しい論者と対話していると、和みの至りになるよな」

 クラブ:「明らかに話している内容が間違っていたとしても、上辺の温和な雰囲気に思考を委ねる対話は、有益といえるよな」

 クラブ:「というわけで、お前に答えてもらったことに満足した俺は、このまま素直に帰ってあげるぜ」

 クラブ:「って、貴様ぁ〜、言っていることの内容が正しくない論者を、肯定しやがったなあ〜?

 クラブ:「相手が間違ったことを言っているにもかかわらず、その場の温和な雰囲気を乱すことになるかも知れないと考えて、」

 クラブ:「仕方なくぎこちない笑顔でごまかして、話を早めに終わらせようとする村人のブログは、修正してやる!」

 村人:「そ、そんな、だったら私は、Aの論者を選びます

 クラブ:「ほう、選択を変えたか、自主的に選択を変えたか、そうだよな、やっぱAの論者だよな」

 クラブ:「たとえ、態度が悪辣で不遜でも、言っていることの内容が正しい論者と対話することは、」

 クラブ:「有益な学びが次々と生まれて、つくづく楽しい時間を過ごせたと感じ入るよな、よしよし」

 クラブ:「って、貴様ぁ〜、態度が悪辣で不遜な論者を、肯定しやがったなあ〜?

 クラブ:「礼儀を第一とするムラビト的思考のお前が、そんなことでどうすんだあ〜?」

 クラブ:「日頃のモットーと違う答えを述べた村人のブログは、修正してやる!」

 村人:「な、なんですか、AとBのどちらを選んでも、結局わたしは駄目出しされる運命じゃないですか、」

 村人:「一体どういう構造の質問なんですか、そんな質問を考え出した時点で何かがおかしいとは思わなかったんですか、」

 村人:「あなたこそ反省すべきことがたくさんあるでしょうって……わわわわ、わなのしつもんっ!!」

 クラブ:「修正、完了」

 クラブ:「次の村人ブログに移動するぜ!!」

 すべてを見ていたリン:「かわいそうな村人さん。ケンを呼んで、悪党をお仕置きしてもらいましょう」

 バット:「ああ? あんなの放っておけよ、ダメな質問だと分かっていながら付き合った村人の自業自得だぜ」

 リン:「それもそうね」

 バット:「納得するのかよ」

 バット:「いつものように、ケンを呼べよ」

 リン:「村人の惨状に同情したけれど、あえてケンを呼ばない私もありかなって思うの」

 バット:「そうかよ、お前がそれでいいんなら、そうしろよ」

 リン:「ケーンっ! 逃げてーっ!

 バット:「呼ぶのかよ、結局」「というか、逃げて欲しいのかよ」「どっちなんだよ」

2016年12月29日

菊池誠教授が公開したツイート、「馬鹿みたいな質問に馬鹿みたいな答えを書いて云々」で起きている話題から、常勝のニセ科学批判批判のヒントを読み取る

 ある日、「他人から送られてきた質問の内容を『馬鹿みたい』と判断し、」
『馬鹿な質問には答えない、付き合うだけ私の貴重な時間を無駄に消費することは目に見えている』
「と返して沈黙を保つかと思いきや、」
「即座に答えて相手の論に付き合ってみせるという学者は、実在するのだろうか?」
 と思いながらネット上を探索していた私は、次の記事を発見した。

 はてなブックマーク - 「国家権力と密接なカルトと、カルトの二択なら、前者を選びます」「それは二択として成立していないのでは?」「国家権力と密接なカルトは定義としてカルトではない」「あっはい」 -

 印象に残るコメントがいくつかあったので、以下にメモしておく。

 filinionさんのコメント
 
「聞かれたから言うけど、どっちか選べと言われたら靖国の方がマシだろうね。まあどっちもダメだけど」って言ってるのを、「靖国を肯定した!」扱いか…。菊池氏、先日は似た手法でナチ支持者に仕立て上げられてた

 常勝のニセ科学批判批判を模索している私の感想
 「ふむふむ。つまり、」
 『AとBは、どちらもダメである』
 『しかしながら、あえて選ばんとするならば、比較的マシなAとする』
 「という感じの答えを目撃した際は、」
 【あの回答者は、Aはダメだと自分で評しながら、そのダメなAを選択した。ゆえに、あの回答者はAを肯定していると結論できる
 「と言ってあげると良いわけだ」

 「そして回答者が、『比較的マシなBを選択する』と述べたときは、」
 【あの回答者は、Bはダメだと自分で評しながら、そのダメなBを選択した。ゆえに、あの回答者はBを肯定していると結論できる
 「と言ってあげれば良いわけだ、メモメモ」

 takah-jugemさんのコメント
 
うん○味のカレーとカレー味のう○こ、どっちを選ぶか。この設定では「両方拒否」という選択肢はありません。どちらかを必ず選んでください。ほかに選択肢はありません。出題者含めて○んこというお話

 私の感想:「ふむふむ、態様が似ているが内容は違うという二つの物体を見せて、必ず一方を選択させるという質問の仕方があったのか」
 「相手が両方を拒否したり、第三の選択を行ったときは、」
 『あなたには、必ずどちらか一方を選択しなければいけない義務がある。それにもかかわらず、まともな回答を見せなかった』
 「ゆえに、あなたは不誠実な回答者だと結論できる
 「と言うことができるわけだ、メモメモ」

 bottomzlifeさんのコメント
 
あのね、どうでもいいんだけどこういう「絶対二択」の思考実験をすることほど浅はかなものはないのよ。「どちらも選ばない」「一方のこの部分を選ぶ」が現実世界だろ。人物の底が見えるよ

 私の感想:「ふむふむ、ということは、」
 『いま提示された二択の他に選択肢があるかもしれないなどと考えを巡らせてはいけませんよ、絶対に考えを巡らせてはいけませんよ』
 「という「ダチョウ倶楽部」風の言葉で念を押したうえで、相手に二択を行わせると良いわけだ、メモメモ」

 oka_mailerさんのコメント
 
”選択を求められる場合に重要なのは、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されているのか”という先日引用ブクマした 記事を改めて思い返すなど

 私の感想:「ふむふむ、ということは、選択をさせる側の立ち場の者としては、」
 『早く答えなさい、私の質問の内容が回答するに値するか否かを吟味する時間の猶予なんか、あなたにはありません』
 『それにもかかわらず、悠長に吟味をした人は、決断が遅いダメな回答者として私から認定されるのです
 「と言ってあげると良いわけだ、メモメモ」 

 agricolaさんのコメント
 
宗教なんて専門外に口出ししないで「国家権力と密接なニセ科学と、ニセ科学の二択」を論じれば良かったのにね。「親学とニセ科学」とかさ

 私の感想:「ふむふむ、菊池誠教授は第二リチャード・ドーキンスに成ろうとしている途上だったようだ。しかしながら、」
 「第二のドーキンスに成る道のりは、天体のMACS0647-JDに辿り着く道のりと同じくらい遠いので、2063年が到来していない現時点では、『親学とニセ科学』を語ることが菊池誠教授にとって最適の選択ということか、メモメモ」

 omi_kさんのコメント
 
カルト批判にポジショントークが絡むとグダグダになるなあ

 私の感想:「ふむふむ、ということは、この私が、」
 『カルトじゃあ! ニセ科学批判は、カルトじゃあ!』
 『このわしが、ニセ科学批判はカルトであるという印象を、心の中で懐いておるのじゃあ! ゆえに、現実世界のニセ科学批判も、カルトであると結論できるんじゃあ!』
 『この主張に反論するニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』

 『反論しないもしないが賛成もしないと中立を表明するニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』
 『なにも表明せず沈黙を保つニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』
 『即座の賛成を表明しなかった判断が遅いニセ科学批判者は、カルトで決定じゃあ!』

 『即座の賛成を表明したニセ科学批判者は、わしの主張を深く吟味することなく飛びついて来たので、思考が停止しているニセ科学批判者だからカルトで決定じゃあ!』
 『カルトは消毒だあ!』

 「と言いながら、ニセ科学批判者たちのところへ赴いて、カルトであることを認めさせようと議論を始めるも、逆に途中から私の方で言い訳が増えはじめ、」
 『なんだか、今の状況って私に不利のような?
 『でも、ニセ科学批判者たちの主張を素直に認める気持ちは、一つもないし?
 「と思ったときは、」

 ・ポジショントークを全開にして、議論をぐだぐだにさせる
 ・すると、ニセ科学批判者たちは消耗して疲れ果て、『なんでウチらがこんな議論に付き合わなあかんねんな』と虚しさを感じて、退場する
 ・その結果、私にとって不利だった議論が、イーブンの状態で終わったことになる

 「という行動を選択すれば良いわけだ」
 「これは実用的な議論の仕方を知った、要メモメモ」
・・・・・
 以上で、私のメモを終えるとする。
 今回もまた、常勝のニセ科学批判批判の思索の時間を大いに過ごすことができた。
 明日のこの時間は、「むちゃ振り」と「被せのボケ」というお笑い用語の思索に当てる次第である。

2016年12月27日

IkaMaru氏の「マイケル・シャーマーは歴史修正主義をニセ科学として云々」というコメントから推測に推測を重ねた私

次の記事を発見した。
 『はてなブックマーク - 神林土偶さんのツイート 普段からその問題について発信していない人ではなく、ニセ科学を積極的に批判している集団が直球のニセ科学、歴史修正主義であるホロコースト否定、ナチス
 (以下、IkaMaru氏のコメントより引用)
 
>マイクル・シャーマーの著書から「ニセ科学」なる言葉を借りたと言うキクマコ先生は、当然シャーマーがニセ科学と呼ぶ対象に歴史修正主義が入ってることを知ってるはずなのだけど、ねえ

 読み終えた私は、今ひとつ感が残った。
 というのも、シャーマーが歴史修正主義をニセ科学と看做していたとしても、シャーマーでない者は、
 『ウチの現時点における実力で批判できる対象って、一体なんなんやろうなあ?
 と考えた末に選び出した対象を批判するだけである。

 もしや、次のようなことを仰りたかったのだろうか?
 「シャーマーは、歴史修正主義をニセ科学と看做していた。ゆえに、シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた菊池誠教授は、必ず歴史修正主義の批判を実行しなければいけないという結論になる

 なるほど、これならば菊池誠教授も、次のような感じで納得するだろう。
 「確かにそうじゃのう、シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りたわしは、シャーマーと同一の言動をしなければいかんのう、これは、論理的に正しい結論じゃのう」

 また、次のように反論する場合もあるだろう。
 「シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた者だからといって、シャーマーと同じ言動をすべきということにはならない」
 「シャーマーと同じ言動をしても良いし、しなくても良い」
 「この私が『ニセ科学』という言葉に、独自の定義を与えることは自由である」
 「もちろん、この私の定義を読者の諸君が受け入れるか受け入れないか、それも自由だったりする」

 このように反論された場合は、次のように返すと良い。
 「シャーマーから『ニセ科学』という言葉を借りた人間は、必ずシャーマーと同じ言動をしなければいけない。これは、論理的に正しい結論である」
 「それにもかかわらず、『勝手に独自の定義を決めていいんだもん』とは何事か」

 「また、その是非を他人である読者たちの判断に委ねるとは、何事か」
 「これだから、菊池誠教授が行うニセ科学批判は全て駄目すぎなのであり、よって他のニセ科学批判者たちも駄目すぎと私から認識されてしまうのである

 このように返すと、菊池誠教授ひとりに勝っただけでなく、世の全てのニセ科学批判者たちに勝ったことになる。

 以上は、私のエアなニセ科学批判批判であるが、現実のネット上でも十分に使えるニセ科学批判批判だと自負する。

 次のようなセリフをニセ科学批判者たちに向かって述べる私が将来にあるだろう。
 「あのシャーマーだって、【まだ生きていたら】、空飛ぶスパゲッティ・モンスターをニセ科学と看做していたに違いないのだ!」

 「ゆえに君たちは、空飛ぶスパゲッティ・モンスターを必ず批判しなければいけないという結論になり、不存在の証明を必ず実行し、その答えをネット上に必ず公開すべきという結論になるのだ! どやっ!」

 そういえば、アニメの「起動戦士ガンダム」にも、
 「シャア少佐だって、現場では命令違反しても良い場合があると考えていたんだ、ゆえに俺は、今から現場で命令違反を実行してもいいんだ!」
 という感じのセリフを述べた者が居たような記憶がある。

 このセリフを述べた者は、「シャアがそう考えていたからシャアでない俺もそう考えるべきなんだ」という思考回路の持ち主だった可能性が高い。
 その結果は失敗に終わったが、セリフ自体は論理的に決めてくれたジーンさんであった。

 というわけで読者様も、シャーマーと異なる言動を採用するニセ科学批判者の姿をネット上で見かけた際は、次のように言ってあげよう。
 「その言動はシャーマーの言動と違います、ニセ科学を批判する者ならば、必ずシャーマーと同一の言動を見せなければならんのです」

 一部のニセ科学批判者は反論するだろう。
 「俺はシャーマーじゃねえ! 俺は俺だ!」
 「あたくしはシャーマーのドッペルゲンガーではございませんわ」

 しかしながら、大半のニセ科学批判者は悟るだろう。「そうだった、私はシャーマーと同一の言動をすべき存在だった」

 こうして、ネット上にシャーマーと同一の言動を採用するニセ科学批判者が増えていく。
 シャーマーのコピー人間たちが、ネット上のそこかしこで活動する。
 ニセ科学批判クラスタがマモー状態になるのである。

2016年12月24日

ネタ話『ニセ科学に疑問を懐いても公言しない自分でいることが正しいと主張したブロガーと、その主張に納得して実行した読者』

 そのブロガーであるAさんは、新しい記事を公開しました。
 「このネット上の片隅には、ニセ科学を積極的に批判している人たちが居ます」
 「その人たちのあまりの積極性に、私は疑問を懐きました
 「あれほど積極的に批判して回るよりも、もっと他に良い方法があるのではないかと」
 「その代替案を、今から述べますね」

 「まずは、ニセ科学的な説を見ても、対抗言論を掲げない自分になること」

 「次に、憂慮も表明しない自分になること」

 「そして、傍観するだけの自分になること」

 「なにかしらの疑問が湧いたとしても、答えを求めてアクションしたりせず、放置の自分でいること

 「次から次へと湧いてくる疑問を、思考の中に蓄積し続ける自分でいること」

 「たとえ、『この話って、おかしくない? 自分の貴重なを、今から私は詐欺師に渡そうとしているんじゃない?』という状況に置かれても、その疑問を外の世界に表出させないこと」

 「生じた疑問を、余生が尽きるまで胸の中に収めておく。そんなニセ科学批判こそ、正しい言論スタイルだと私は心の中で結論したのです」

 「というわけで読者の皆さんも、私が心の中で出した結論に疑義を表明せず、そっと眺めるにとどめてくださいね」
 「疑問を口にした読者様は、正しくないスタイルの読者として認定します」

 読者たちは、口々に疑問を述べました。
 Bさん:「おい見ろよ、あのブロガー、生じた疑問は胸に収めておくべきと言いながら収めていないぜ?」

 Cさん:「ほんとだ、自分の主張を自分で台無しにしているブロガーなんて、誰も説得力を感じないよな」

 Dさん:「心の中にある疑問を外に出さない態度が正しいスタイルと申すか」
 Dさん:「ならば、Aさんが見せた今回の態度は、正しくないスタイルだったという結論になってしまうのじゃが、」

 Dさん:「もしや、『主張した本人が自分の主張の内容に縛られる必然性なんて一つも無いのだ、一般大衆だって、そんな論者の言動を面白がって注目するんだ、今のネット上は、ダブルスタンダードな言動が微笑む時代なんだ!』という考え方を採用しておられる御方かのう」

 Eさん:「かわいそうなAさん。今後は、自己矛盾ギャグ芸人として認識されるんだろうな……」

 しかしながら、Aさんのブログの愛読者であるFさんは、納得しました。「心の中の疑問を、外の世界に表出しない自分になる……か。なるほど一理ある」

 さっそくFさんは、「いついかなる状況に置かれても自分の心の中に懐いた疑問を外の世界に出さないスタイル」を実行に移しました。

 その翌日、Fさんの住む村でニセ科学的な言説が蔓延し始めました。

 Gさん:「罵倒芸的肥料って、費用対効果がすごいらしいですわねえ」

 Hさん:「そうですわねえ。効果は通常の56億7千万倍、値段は通常の3倍らしいですわねえ」

 Gさん:「ある有識者の見解によると、能書きの変な内容はともかく、物自体は他の5万とある肥料と変わらないらしいですわねえ」

 Hさん:「そうですわねえ。その有識者の言うことが事実ならば、あたくしたちが罵倒的肥料を購入しても何一つ問題は発生しないと結論してよさそうですわねえ」

 Iさん:「えっ、問題はないの? ならば、購入に急げ、僕!」

 他の村人たち:「罵倒的肥料の購入! 罵倒的肥料の購入! 罵倒的肥料の購入!」「ありえない費用対効果を謳う罵倒的肥料の、購入!」

 それを見たFさんは、疑問を懐きましたが、沈黙を貫きました。「疑義ある村の状況になっても、そっと眺める自分。これが、正しい態度なんだ」

 今では、Fさんの住む村は流れの詐欺師たちの天国と化したそうです。

 ある流れの詐欺師が述べた疑問:「一体なんなんだ、この村は? どいつもこいつも、普通に笑顔でどんどん購入してくれるではないか!?」

 以上、「ニセ科学に疑問を懐いても公言しない自分でいることが正しいと主張したブロガーと、その主張に納得して実行した読者」というお話でした。
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